50年代に入り、ディドリーはシカゴのクラブで演奏活動を始める。そして1955年、チェス・レコードの子会社、チェッカー・レーベルのオーディションを受けたディドリーは、チャック・ベリーのレコーディング・セッション等に参加する一方で、自らシンガーとしてもレコーディングを行うようになった。自らの名前を冠したオリジナル曲“ボ・ディドリー(Bo Diddley)”を1955年に発表。また同年に、ロックンロールの名付け親といわれるDJアラン・フリードの強力なプッシュを受けR&Bチャートで成功を収めた“アイム・ア・マン(I’m A Man)”を発表している。またこの頃50年代の中盤にはNYハーレムのアポロ・シアターでステージを行い、多くの観客を集める人気ぶりを誇っていたようだが、なんとそこにはエルヴィス・プレスリーの姿も見られたという。