1942年19歳のときにケッセルはロスアンゼルスへ出てプロへの道を詮索する。当時、ケッセルが初めてありついた仕事がChico Marx(チコ・マルクス)というバンドでの仕事で一年ほどこのバンドでツアーなどに参加している。 やがて、ツアーからLAに戻ったケッセルは、スタジオ・ミュージシャン、ジャズクラブ、ラジオとあらゆる仕事をこなし、忙しい日々を送っている。この当時の演奏はチャーリー・ヴェンチュラ、ロイ・エルドリッジ、そして、アーティ・ショウのバンドの録音で聞ける。また、ケッセル・ファンにはお馴染みだが、映画『Jammin’ The Blues』にケッセルの若き映像を見ることが出来る。
1952年、ケッセル29歳の折、JATPのツアーに一年ほど参加 、翌1953年には初リーダー・セッションSwing Guitarsを吹き込んでいる。さらに1953年からはケッセルにとって最も重要なレーベルとなる「Contemporary Label」にその名もずばり、Barney Kessel Vol.1を録音する。以降、ケッセルはEasy Like,Barney Kessel Vol.2,Kessel Plays Standards, Vol.3-To Swing Or Not To Swing,Music To Listen To Kessel By,Let’s Cook,Modern Jazz Performances From Bitze’s Carmen ,Some Like It Hot,Swingin’ Party,Workin’Outと1961年に至るまで次々と作品を吹き込んでいる。 ケッセルは同レーベルに、レイ・ブラウン、シェリー・マンとの黄金のトリオ、“Poll Winners”で、Poll Winners With Ray Brown and Shelly Manne、The Poll Winners Again、Poll Winners Three、Exploring The Futureの4枚を録音している。この時期がケッセルにとって第一期黄金時代といっていいだろう。
1968年ジョージ・ウエインが主催するNew Port All-Starsのツアーでヨーロッパを訪れ、この後、1969年から1970年までをロンドンに過ごすことになった。当時の演奏は「Black Lion」レコードから、Blue Soul、Aquarious:The Music From Hair、Limehouse Bluesとして発売されている。
帰米後、心機一転、1973年にはハーブ・エリス、チャーリー・バードとともにThe Great Guitarsを結成、発足したばかりの「Concord Label」を中心に活躍を始め、Great Guitars、Straight Track、Great Guitars at the Winery [live]、Great Guitars at Charlie's Georgetownなどを録音、さらに並行して自身名義でも盛んにレコードを残している。
1980年代末には再び、古巣「Contemporary Label」にSpontaneous Combustion、With Monty Alexander、Red Hot and Bluesを吹き込んだが、1992年心臓麻痺のため事実上の引退を余儀なくされた。