Asian Dub Foundation

Asian Dub Foundation (エイジアン・ダブ・ファウンデイション) プロフィール

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ロンドンを基盤とする“Community Music”という団体で音楽の実践的な技術を教えていたベーシストのDr.Dasを中心に、在英インド/バングラディシュ系コミュニティに育った若者たちが集い、93年より活動開始したエイジアン・ダブ・ファンデーション

95年、“アジアのパブリック・エネミー”ことファンダメンタルのアキ・ナワズが主宰するNation Recordsからデビュー・アルバム「Facts And Fictions」をリリース。本国イギリスでは正当な評価を得られなかったものの、フランスをはじめとするヨーロッパ各地で好意的に受け入れられ、97年のセカンド・アルバム「R.A.F.I.」はVirgin Franceからリリースされた。同年、ADFの代表曲として名高い"Free Satpal Ram"に感銘を受けたボビー・ギレスピー直々の指名で、プライマル・スクリームのツアーでフロントアクトを務める。

98年、セカンドの音源をリアレンジした「Rafi's Revenge」をLondon Recordsからリリース。プライマルとの共演による"Free Satpal Ram"のニュー・ヴァージョンも収録された本作でイギリス国内のメディアからの評価も高まり、マーキュリー音楽賞も受賞した。また同年はこれまで以上に積極的なライヴ活動を展開し、フジロックでの初来日や、ビースティー・ボーイズのツアー・サポートでアメリカ進出も果たす。 翌99年には、オーディオ・アクティヴとともに全米/カナダ・ツアー“Asian Invasion(アジア人の侵略)”を成功させた。

2000年3月、サード・アルバム「Community Music」をリリース。バンド発祥の場所をタイトルに据えたこの作品は、世界中を渡り歩いたことでさらに拡がったADFの音楽性を呈示した快作となった。しかし、この作品を最後にMCを務めていたディーダが脱退を発表。2001年、新メンバーを従えブラジル・ツアーや東ヨーロッパへの大規模なツアーを展開しながら、新作の制作準備を開始。

2002年、Virgin Franceとのワールドワイドのディールを締結し、エイドリアン・シャーウッドをエクゼクティヴ・プロデューサーに迎えた4作めのオリジナル・アルバム「エネミー・オブ・ジ・エネミー」を制作。2003年1月、ついにその全貌が明らかになる。

なお、彼らはバンド活動と並行して、次世代を担う若者に、音楽に関する知識やテクノロジーの教育を推進するプライヴェートな団体“ADF Education(ADFED)”を設立し、ロンドンを中心に様々なワークショップを展開している。 彼らが闘うためにまず必要としたもの──それは、確固たるアイデンティティ。タブラやシタールといったインドの民俗楽器を多用したサウンドからは、自らのルーツに対する敬意と大いなる誇りが感じ取れます。そしてもうひとつ必要なものは、タフネス。両親のレコード・コレクションから学んだというインド音楽の粘っこいグルーヴに、彼らが成長の過程で吸収していったレゲエやダブ、ヒップホップ、パンクなどといったレベル・ミュージックのエッセンスを注入することで、ADFは獰猛なほどに強靱なサウンドを確立させた。

彼らが放つ、熱く硬派なメッセージは無敵のグルーヴを武器に、人種やジャンルを超えて多くの人の心を揺らしています。プライマル・スクリームやビースティー・ボーイズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンらが絶大なる支持を表明しているのも、ADFのもつオリジナルな姿勢に共感を覚えるからこそといえるだろう。

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