7歳のときにピアノを弾き始め、1952年、フラミンゴス(ドゥーワップのグループとは同名異グループ)を結成。このバンドにはギターにスヌークス・イーグリンが在籍していた。1955年、デイヴ・バーソロミューの目に留まり、ファッツ・ドミノ、スマイリー・ルイスらのセッションに参加するようになる。これを機に、セッション・ピアニストとして名を上げていった。そして1958年のリー・アレンのヒット"Walkin' With Mr. Lee"のアレンジを担当してからは、編曲者としても評価を受けるようになる。同年、初のソロ作『The Wild Sound of New Orleans』も発表している。
1960年、トゥーサンはミニット・レーベルにディレクターとして迎え入れられ、彼のプロデュース、作曲による数多くのヒット曲が世に送り出されるようになった。その中にはジェシー・ヒルの「Ooh Poo Pah Doo」やベニー・スペルマンの「Fortune Teller」(ローリング・ストーンズのカバーでも有名)、アーマ・トーマスの「It's Raining」、リー・ドーシーの「Working in the Coal Mine](1966)などがある。当時彼は、自分の母親の旧姓である"Naomi Neville"のペンネームで曲を書いていた。60年代トゥーサンは、インスタント、フューリーなどのレーベルでも同様の活躍をし、ニューオーリンズのシーンに大きな足跡を残した。また、1965年にはマーシャル…