Albert King
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Albert King (アルバート・キング) プロフィール

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口にくわえた偉そうなパイプに、6フィート4インチ(195cm)の巨漢の左に添えた派手なギブソンのフライングVがトレード・マーク。BBキングフレディ・キングと並びモダン・ブルース界3大キングの一人と称されるアルバート・キング、彼の残した功績は余りにも大きくブルースのみならず、後のロック・ギタリストにも多大な影響を与えている。クラプトンジミヘンスティーヴィー・レイ・ヴォーンはその最もたる例であるといえるだろう。

アルバート・キング(Albert Nelson)は1923年4月25日アメリカはミシッシッピに13人兄弟の一人として生まれた。1931年頃に家族と共にアーカンソー州フォレストシティー郊外の農場で幼少期を過ごした。そんなアルバートが初めてギターを手にしたのは1942年、ギルドのアコースティック・ギターであった。アーカンソーという灼熱の農場で苛酷な労働に耐えながら、ロニー・ジョンソンサニー・ボーイ・ウィリアムスハウリン・ウルフTボーン・ウォーカーブラインド・レモン・ジェファーソン等を愛聴し、自らのギター・プレイに反映させていった。さらに面白いところでは、ハワイアンも幼少時から聴いていたようで彼独特のギター・プレイはこんなところからも培われたのかもしれない。

1952年頃、プロとして初めてのコンボを組みアーカンソー州オセオーラ周辺でライヴをして廻る。メンバーは3人でギター、ピアノ、ハーモニカだけであったという。レパートリーも少なく、数えるほどの持ち曲を毎回スピードを変えて演奏していたというが、いち早くビッグになる為には田舎町にいてもらちがあかないと、アルバートは北上しセントルイス、インディアナ北西部へと活動拠点を移していった。そこでアルバートジミー・リードと一緒のバンドでプレイする機会に恵まれる。しかしアルバートジミーの後ろ。そうこの時期アルバートはギターではなくドラムをプレイしていたのであった。しかしジミーが自分の楽曲を録音する姿を後ろから見ていたアルバートは自らの音楽を志す事を決意。再びギターを手にするのであった。

1953年アルバートはバンドのリーダーとしてレコード・デビューを飾る。この頃のアルバートの録音物はやはりオーソドックスな50年代初頭のシカゴ・ブルースが基調となっており、後のような個性は見出しにくい。そしてアルバートはアーカンソー時代に組んでいたバンドを再編成する為、アーカンソーへと戻る。が、しかし当時のメンバーにその話を持ちかけるも結局断られ再びアーカーンソーを後にする。

その後のアルバートといえば破竹の勢いで知名度を上げてゆき、セントルイスでは知らないものはいないとまで言われるブルースマンになっていた。1961年にはシングル、“ドント・スロウ・ユア・ラヴ・オン・ミー・ソー・ストロング”で初のビルボード・チャート入りを果たす。しかしいい時間というものは長く続かないもので、この“ドント・スロウ〜”のヒット1曲だけでアルバートはしばらく苦難の時代を過ごす事になる。

1964年セントルイスの小さなマイナー・レーベルと契約を交わすが、彼はまだ大舞台への夢をあきらめてはいなかった。メンフィスにあるブラック・ミュージックの殿堂ともいえるスタックスに執拗にアプローチを試み、1966年念願のスタックス入りを果たす。そう、ブッカーT & ザMGズとの出会いがアルバートの再起の切っ掛けとなるのであった。“悪い星の元に生まれて”、“コールド・フィート”、“ブレイキング・アップ・サムバディズ・ホーム”、“ザッツ・ホワット・ザ・ブルース・イズ・オール・アバウト”など数々のヒット曲を生み出していった。

1976年のスタックス閉鎖後ユートピア、トマト、ファンタジーと、80年代頭頃までコンスタントに録音を残していったアルバートは晩年をメンフィスで過ごした。そして1992年12月21日クリスマスを直前にして心臓発作により帰らぬ人となった。享年69歳。

まずCDジャケットなどをご覧いただけば一目で分かるのだが彼はサウスポー。そう左利きである。だが専用のギターを使わずに右利き用の普通のギターを逆さに持ち(弦も張り替える事無く!)演奏した。そのため独自の個性が生まれたのだろう。アルバートの愛機、「ルーシー」(BBキングはルシール。似たよう名前という事でどっちが先かと意地を張っていた事もあるらしい。)と名づけられたギブソンのフライングV(ブルースマンでは珍しい)から奏でられるチョーキングはエモーショナルなことこの上ない!Eマイナーにまで落としたチューニングも特筆すべきで、その上あの巨漢から想像するに難しくないぶっとい指でグイグイ引っ張るようにひくスタイルは世界広しといえどアルバートただ一人だろう。また完全主義なことでも有名で、バック・バンドがある一定というよりは持ちうる最高のものを出さなければ納得しない方らしく、どんなに客が入っているステージでも容赦なく檄を飛ばしていたらしい。今で言えば行列の出来るラーメン屋の店主みたいなものであろうか。

冒頭でも触れた事だが、アルバートは後のブルースのみならず、ロックにも多大なる影響を与えた極めて重要なギタリストである。エリック・クラプトンなどはその最もたる一人でクリーム時代にはアルバートのスタックス期のヒット、“悪い星の元に生まれて”をカヴァーしている。その事実ひとつとっても賞賛に値するギタリストであることがブルースを知らない若い世代にも伝わればと思う。

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