DUの作品に顔を出し、活躍の場を広げていった彼は、’91年「2Pacalypse Now」で念願のソロ・デビュー。DUのメンバーであること、またDUがバック・アップしていることでかなりの話題を集めたこの作品は、40万枚のセールスというラッパーのソロ作としては異例の大ヒットを収めた。初シングル「Brenda's Got A Baby」はR&Bチャート23位を記録。そして同年、映画「ジュース」でスクリーン・デビューも果たす。重要な役所を演じ、高い評価を受けたことで彼を知った人も多いようだ。
’93年には2ndアルバム「Strictly4 My N.I.G.G.A.Z.を発表。プラチナム・ディスクを獲得したこの作品からは、「I Get Around」、「Keep Ya Head Up」等のヒット曲が生まれた。 しかしこの頃から、彼絡みの暴力事件が頻繁に起こるようになり、リムジンの運転手への暴行や、果ては後に有罪判決となってしまうクラブで知り合った女性への性的強要などなど。そうしたトラブルが続く’94年の11月、ニューヨークのレコーディング・スタジオのロビーで彼は5発の銃弾を浴び、かろうじて命は取り止めたものの、現場に居合わせたノトーリアスB.I.G.やショーン・パフィ等が見て見ぬふりをしたことをきっかけに、2 Pacは、今回の事件はビギー達の差し金と考え、公然と彼等を攻撃し、それが後のヒップホップ東西ディス戦争の加熱に拍車をかけるきっかけとなってしまう。しかしそんなゴッシプとは裏腹に、彼の素晴らしい才能は花開き、その音楽的評価と人気はますます高まっていった。
まずは’94年デス・ロウから出た2 Pac主演映画「アバブ・ザ・リム(邦題:ビート・オブ・ダンク)」のサウンドトラックが200万枚のセールスを記録。ここには彼と実兄とのユニット”Thug Life”の曲も収録され、単独アルバムもリリースされた。 そして’95年、ビルボードのポップ・アルバム・チャートも制覇し、シングル「Dear Mama」の空前の大ヒットにより発売七ヶ月にしてダブル・プラチナムに輝いた3rdアルバム「Me Against The World」を発表。が皮肉にもそんな朗報を、2 Pacは左記の事件による有罪判決によって、刑務所の中で聞くこととなる。
しかしそうした彼を不憫に思ったか、飯の種になると計算したかは定かではないが、デス・ロウの社長マリオン・シュグ・ナイトは自身のレーベルに迎え入れる為に、140万ドルの保釈金を払い、2 Pacを出所させる。 そして’96年に完成したのが、ラップ史上初の2枚組である4thアルバム
「All Eyes On Me」
である。Dr.Dreとロジャーをフィーチャーした「California Love」やK-Ci & Jojoが絡んだ「How Do U Want It」等の大ヒット曲を生み、セールスはなんと700万枚を超えるモンスター・アルバムとなった。
死後に発売されたMakaveli名義のアルバムに続く、母アフェニの尽力によりリリースされた過去の未発表曲集「R U Still Down?(Remember Me?)」では、あたかも自分の死を予期していたかのような最後の名曲「I Wonder If Heaven Got A Ghetto」も収録されている。この後間もなくしてリリースされた「Greatest Hits」で彼の残したあまりにも大きな遺産に今一度触れてみていただきい。
死後も何かと話題の絶えない彼だが、1999年暮れ、生前に残したOutlawzなるホーミーズ(地元の仲間達)を引き連れた全曲未発表によるニュー・アルバムがリリースされた。「Still I Rise」とは、ビギー同様、意味深のタイトルだが、従兄弟達を中心としたグループとのリラックスした雰囲気の中にも濃厚で気合いの入った”2パック・ワールド”が堪能できる。全篇いかにも彼らしい歌心溢れるフロウが印象的で、彼の代表曲の一つでもある、「Keep Ya Head Up」のニュー・ヴァージョン「Baby Don't Cry」での女性コーラスとの絡みはやっぱり彼ならではの味わいで泣ける。是非とも彼のスタイルを継承するラッパーが早く現われてほしいものだ。
2000年には本名トゥパック・シャクールで活動をしていた頃の貴重な音源が収録された「Lost Tapes」が発表され話題を呼んだが、2001年、何と2枚組というヴォリュームで、今度こそ正真正銘となるであろう未発表音源集「Until The End Of Time」がリリースされファンを喜ばせた。