10cc

10cc (テンシーシー) プロフィール

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20世紀を締めくくる2000年、偶然にも10ccのヒット曲「愛ゆえに」と「アイム・ノット・イン・ラヴ」が日本のテレビCMソングとして使用され、この2曲を収録したベスト盤などが新譜にまじってチャート・インしたのは記憶に新しい。察するに制作スタッフのリアルタイムでヒットした時代のフェイバリット・ソングとしての起用なのだろうが、こうして時代を越え、新しい世代に受け入れられた要因はその親しみやすいメロディーにあると思う。

10ccのメンバーはエリック・スチュワート(vo,g)、グレアム・グールドマン(b,vo)、ケヴィン・ゴドレイ(ds,vo)、ロル・クレーム(g,key,vo)4人。ポッとでの新人バンドではなく、エリック・スチュワートはウェイン・フォンタナ&マインドベンダースのメンバーとして人気を博し、グレアム・グールドマンはモッキンバーズ(ケヴィン・ゴドレイも参加)等バンド活動をする傍ら、ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」、ホリーズの「バス・ストップ」などのソングライターとして数々のヒット曲を生み出していた。4人は’68年頃からマンチェスターにあるストロベリー・スタジオでセッション活動を通じて出会うようになり、’70年には渡米中だったグレアムを除く3人でホットレッグスを結成、デビュー・シングルの「ネアンデルタール・マン」はUKチャートで2位の大ヒットとなった。グレアムが帰国し、ラマセス等のアルバム参加を経て、UKレコードのジョナサン・キングに見出され、4人は10ccとして’72年にシングル「ドナ」でレコード・デビュー、サード・シングル「ラバー・ブリッツ」では初の全英No.1を記録し、’73年遂にデビュー・アルバム 10ccをリリースした。

‘74年セカンド・アルバム シート・ミュジック のリリースを最後にUKレコードを離れ、メジャーのフォノグラムと契約。’75年には全英1、全米2位の大ヒット曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」を収録した オリジナル・サウンドトラック をリリース。その人気は世界的なものとなっていった。’76年4作目となる びっくり電話:ハウ・デア・ユー をリリース。スチュワート&グールドマン組のメロディー・メイカーとしての才能とゴドレイ&クレームの実験性がうまくかみ合い、アルバムも高い評価を受けたが、ゴドレイ&クレームがギズモ(ギターの弦をこすることによってキボードのように持続音に変えられるアタッチメント)の開発とそれを使ったアルバム制作に専念するために脱退。10ccは二つに分裂してしまった。

脱退したゴドレイ&クレームは’77年ギズモを駆使したアンログ3枚組の大作 ギズモ・ファンタジア をリリース。その後も L (’78年)、 フリーズ・フレーム (’79年)、 イズミズム(’81年)、バーズ・オブ・プレイ(’83年)とコンスタントに作品をリリースする一方でポリス、 デュラン・デュラン等数多くのプロモーション・ビデオを制作、ビデオ監督として数々の賞を受賞し名声を馳せていた。すると今度は’85年に自らが手掛けた人の顔が次々に変わっていくプロモが話題となってシングル「クライ」が大ヒット。10cc時代のナンバーも組み合わせた ヒストリー・ミックスVol.1 をリリースするなど久々に音楽面でも成功を収めた。’88年の グッバイ・ブルー・スカイ のリリース以降はしばらく音沙汰がなかったが、’99年アート・オブ・ノイズの10年ぶりの新作 ドビュッシーの誘惑 でロル・クレームが正式メンバーとして参加し話題となった。

一方、残されたスチュワート&グールドマンはそのまま10ccを名のり続け、’77年その活動を不安視する声をよそに、その見事なソングライティングの才能を見せつけた 愛ゆえに をリリースし大ヒットとなる。ライヴ・アルバムをはさんで’78年には3曲目の全英No.1となった「トロピカル・ラヴ」を収録した ブラッディ・ツーリスト をリリースするなど分裂後の活動も順風満帆のように思われたが、’79年に入ってすぐにエリック・スチュワートが交通事故で重症を負い、活動休止を余儀なくされてしまう。ようやく’80年に ルック!ヒア! で復帰するが、ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントの真っ只中ということもあってか不発に終わり、ミステリー・ホテル(Ten Out Of 10, ’81年)、都市探検(Windows In The Jungle, ’83年)をリリースし解散する。

解散後のエリック・スチュワートは主にウィングスなき後のポール・マッカートニーとの活動が中心となり(「ソー・バッド」のプロモなどで彼の姿を見ることが出来る)、グレアム・グールドマンはアンドリュー・ゴールドと新グループWAXで3枚のアルバムをリリース。「ブリッジ・トゥ・ユア・ハート」などのヒット曲を生んだ。

その後、’92年10ccはアルバム ミーンホワイル、’95年には「アイム・ノット・イン・ラヴ」の新録音を含むミラー・ミラー をリリースして復活を果たすが、いずれもヒットには至らなかった。その後エリック・スチュワートは’97年のアラン・パーソンズの オン・エアー にゲスト参加(ソロ・アルバム制作中との情報も有り)、グレアム・グールドマンは再びWAXを始動させ、ベスト&新録の ザ・ワックス・ファイル(’97年)、コモン・ノレッジ(WAXの前身)時代の音源を含む common knowledge.com をリリース。2000年には And Other Thing… というソロ・アルバムをリリースし、メロディー・メイカーとして健在振りを示した。

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