CD 輸入盤

『チェロ協奏曲集〜ヒンデミット、プロコフィエフ、ラウタヴァーラ』 シュタルケル、ブール&南西ドイツ放送響、ブロムシュテット、他(1971、75 ステレオ)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
94227
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Germany
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


シュタルケル/20世紀チェロ協奏曲集〜ヒンデミット、プロコフィエフ、ラウタヴァーラ
エルネスト・ブール、ヘルベルト・ブロムシュテット、他
1971&75年の放送用セッション録音(ステレオ)


2013年に88歳で歿し、2014年が生誕90周年にあたるハンガリー出身の名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルのお宝音源が、SWRアーカイヴに遺されていました。このたび「haenssler classics」のヒストリカル・シリーズより復刻される協奏曲3曲はすべて正規盤初出の内容で、この不世出の音楽家を語るうえで外せないものとなるのはまず間違いのないところです。
 シュタルケルが「20世紀最高のチェロ協奏曲」と呼んだヒンデミットの作品は、シュタルケルにとって、1957〜58年のライナー指揮シカゴ響とのライヴ録音、1994年のデニス・ラッセル・デイヴィス指揮バンベルク響との録音に続く3種目の内容。レコーディングの頻度からもシュタルケルの思い入れの強さがうかがえますが、この曲についてシュタルケルは「完璧な構成、みごとな音楽素材、すばらしいオーケストレーション」で、「ショスタコーヴィチやプロコフィエフそのほかの作曲家たちよりもずっとすばらしい」とまで絶賛しており、ここでも作品を完全に掌握したその腕前を堪能できそうです。
 プロコフィエフの協奏曲はシュタルケルにとって、1956年のジュスキント指揮フィルハーモニア管とのセッション録音に次いで2種目。おそろしく難しい独奏パートを持ち前の完璧な技巧でねじ伏せますが、決してテクニックを誇示するだけに終わらせないところに、あらためてシュタルケルの非凡さを感じさせます。
 一部に熱狂的な支持を集めるラウタヴァーラの作品は、シュタルケル初のレパートリーという意味でもきわめて貴重。この多作で多面的な要素を持つ現代屈指の作曲家は、さまざまな独奏楽器のための協奏曲の創作をライフワークとしていますが、その最初にして最も広く知られている協奏曲(1968年作曲、1969年初演)の魅力を、シュタルケルは説得力ある演奏で引き出しています。
 全3曲とも放送用にセッションでステレオ収録されたもので、すぐれた音質で鑑賞できるのも価値あるところです。(キングインターナショナル)

【収録情報】
● ヒンデミット:チェロ協奏曲 (1940) [23:50]

 ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
 SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
 アンドレアス・フォン・ルカーチ(指揮)
 録音時期:1971年1月14日
 録音場所:シュトゥットガルト、放送局スタジオ
 録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)

● プロコフィエフ:チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 ホ短調 op.125 [36:16]

 ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)
 エルネスト・ブール(指揮)
 録音時期:1975年8月16日
 録音場所:バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ
 録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)

● ラウタヴァーラ:チェロ協奏曲第1番 op.4 (1968) [14:19]

 ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)
 ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
 録音時期:1975年2月6日
 録音場所:バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ
 録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)

【プロフィール】
ヤーノシュ・シュタルケルは、1924年7月5日、ポーランド系の父とウクライナ移民の母の元にブダペストに誕生。二人の兄はヴァイオリンを学んでいましたが、ヤーノシュは幼い頃からチェロを弾き、ブダペスト音楽院に入学、アドルフ・シファーとレオ・ヴェイネルに師事、11歳でリサイタル・デビューし、翌年には海外公演もおこなっており、さらに、14歳の時には、わずか3時間の練習で代役としてドヴォルザークのチェロ協奏曲に出演してコンサート・デビューも果たすほどの天才ぶりでした。
しかし、シュタルケルはユダヤ系だったため、1939年にブダペスト音楽院を卒業すると、強制労働に従事させられ、大戦末期の3ヶ月間は両親と共に強制収容所にいました。その間、2人のヴァイオリニストの兄、ティボールとエーデは当時のドイツ政府によって殺されたと言われています。
戦争が終わると、シュタルケルは、ブダペスト歌劇場とブダペスト・フィルの首席チェロ奏者となりますが、翌年ソ連が侵攻してきたため、祖国を後にし、まずウィーンでコンサートを開いて成功を収めます。そして、ジュネーヴを経てパリに拠点を移し、コンサートやレコーディングに力を注ぎ、1948年、パシフィック・レーベルにコダーイの無伴奏チェロ組曲を録音、このレコードがディスク大賞を受賞すると名声が一躍高まります。
ほどなくアンタル・ドラティの招きもあってアメリカ移住を決意、まずダラス交響楽団の首席チェリストとなりますが、翌年にはフリッツ・ライナーの誘いを受けてメトロポリタン歌劇場の首席奏者に就任、その後、1953年にライナーがシカゴ響に移るとシュタルケルも一緒に動き、1958年に退団するまでライナーのもとで活躍します。
その間、1954年にはアメリカの市民権を得ており、1956年にはヨーロッパ公演も実施、1958年にはインディアナ大学の音楽学部教授に就任し、インディアナ州ブルーミントンに居を構え、長年にわたって演奏家活動と教育活動を並行して展開、2013年4月28日に88歳でその自宅で亡くなられています。
シュタルケルのレコーディング総数は160を超えると言われ、卓越したテクニックと音楽性、優れた音質によって、世界的に高い評価を得たものが数多く含まれています。
レコーディングなどでの使用楽器は、1950年から1965年までは主に、「アイレスフォード卿」という名前で知られるストラディヴァリウス、1965年以降はゴフリラーを中心に使用していたようです。(HMV)

収録曲   

  • 01. Mig Schnell
  • 02. Ruhig Bewegt - Sehr Lebhaft - Ruhig Bewegt
  • 03. Marsch. Lebhaft
  • 04. Andante
  • 05. Allegro Giusto
  • 06. Andante Con Moto - Allegro
  • 07. Allegro Ma Non Troppo
  • 08. Largo
  • 09. Vivace

ユーザーレビュー

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ヒンデミットは、フーガ、パッサカリアばか...

投稿日:2015/11/12 (木)

ヒンデミットは、フーガ、パッサカリアばかりで理屈っぽく金太郎飴的という誤解がまだ残っているが、本当はハードボイルドなかっこいい音楽を書いた人だ。30年代末に書かれた作品では「シンフォニック・ダンス」やヴァイオリン協奏曲とともにもっと評価されていい曲。シュタルケルは気に入っていたようだが、確かに彼にぴったり。一方、プロコフィエフについてはシュタルケルはヒンデミットより下と言っているが、そんなことはない。超絶技巧を交えながら曲想がどんどん変遷し、強烈なロマンティシズムとドライなタッチが交錯する実に面白い曲であり、70年代にはまだその面白さが理解されていなかったのかもしれない。この時代に既にラウタヴァーラを取り上げているのもちょっと驚き。シュタルケルの演奏はどれも素晴らしいもので、この3曲の代表盤といっていいだろう。録音も鮮明。

フォアグラ さん | 愛知県 | 不明

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