菊地靖彦 / 伊牟田経久 / 久保田淳

人物・団体ページへ

土佐日記・蜻蛉日記・とはずがたり 日本の古典をよむ

菊地靖彦 / 伊牟田経久 / 久保田淳

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784093621779
ISBN 10 : 4093621772
フォーマット
出版社
発行年月
2008年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
20cm,318p

内容詳細

女性に仮託して、日記文学というジャンルを切り開いた紀貫之の『土佐日記』、道綱母が夫の愛に飢渇する日々を吐露した『蜻蛉日記』、後深草院二条が濃密な性愛を描いた『とはずがたり』。代表的日記文学3篇を収録。

【著者紹介】
菊地靖彦 : 1936年、茨城県生れ。東北大学卒。平安文学専攻。2001年逝去

木村正中 : 1926年、東京都生れ。東京大学卒。平安文学専攻。2003年逝去

伊牟田経久 : 1931年、鹿児島県生れ。東京教育大学卒。国語学専攻。鹿児島大学名誉教授

久保田淳著 : 1933年、東京都生れ。東京大学卒、同大学院博士課程修了。中世文学専攻。東京大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

ユーザーレビュー

総合評価

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

読書メーターレビュー

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

powered by

  • Y さん

    「とはずがたり」が読みたくて手に取ったけれど、他2作も学生時代に接したときとはまた違った見方で読むことができておもしろかった。「とはずがたり」は聞きしに勝る自由奔放な女の話だった。官能と言うより破廉恥。気ままな恋愛は甘美ではあるかもしれないが、一時の快楽は生んでも互いを傷つけあって疲弊するばかりで非生産的な愛だと思った。それにしても男が何人もの女と関係するというのは道徳としてどうなのかはさておき、ある程度は受け入れられているのに、女が何人もの男と関係を持つとなると、タブーな感じがするのはなんでだろうか。

  • Tadashi_N さん

    教科書には載せられない古文。自由奔放な男女関係。

  • 翡翠 さん

    『土佐日記』と『蜻蛉日記』はなんとなく読んだことがあったが、『とはずがたり』は初めて。現代の常識からすると衝撃内容だが、結婚形態の違う時代のこと。後ろ盾があるかないか、寵愛を受けることにより得られる生活の安定等を考慮すると、一概に二条を奔放な女性とはいえない気がする。

  • 鮎 さん

    「土佐日記」都から宝のように抱いてきた子が、帰るときには共にいない。幼い愛娘に世を去られ、さらに今また思い出の土地からも去らなければならない。触れれば手を切る生々しさではなく、指の隙間から零れ落ちてゆく面影を必死に掻き集め、そこに顔をうずめるような儚さを感じる。「蜻蛉日記」は田辺聖子「文車日記」等で詳しく紹介されていたせいか、初読なのに再読気分。思うに任せない身の上を嘆いてばかりの道綱母、けれど辟易どころか共感ばかりしてしまう。兼家とも不仲というよりは腐れ縁のようで、長年連れ添うには悪くないのでは。

  • とし さん

    古典を読もう、ということで、今回はこれ。「とはずがたり」を読んでみたくて借りてみた。「土佐日記」も「蜻蛉日記」もちゃんと読んだことなかったからナイス。「土佐〜」は貫之だから当然和歌も素晴らしい。「蜻蛉〜」は筆者のナルシストぶりに辟易。当時の当然の表現なんだろうが、好きになれない。目当ての「とはずがたり」は期待通り、作者の奔放な恋愛ぶりが面白かった。

レビューをもっと見る

(外部サイト)に移動します

文芸 に関連する商品情報

おすすめの商品