柳田国男 遠野物語 「記憶」に戦慄せよ NHK「100分 de 名著」ブックス

石井正己

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784140816769
ISBN 10 : 4140816767
フォーマット
出版社
発行年月
2016年03月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
157p;19

内容詳細

山の神、里の神、家の神をはじめ、天狗、山男、山女、河童、幽霊などの話が百十九話収められた『遠野物語』。牧歌的な昔話としてイメージされる一方、そこには、現実世界を生きる人間たちの「負の遺産」ともいうべき姿が活写されていた。自然について、神様について、人間の生死について、かつての日本人は何を感じて生きてきたのか―。古層の記憶をたどりながら、私たち現代人の未来について考える。

目次 : はじめに 古くて新しい物語の世界へ/ 第1章 民話の里・遠野/ 第2章 神とつながる者たち/ 第3章 生と死 魂の行方/ 第4章 自然との共生/ ブックス特別章 世界の中の『遠野物語』

【著者紹介】
石井正己 : 1958年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。同大学講師、助教授を経て現職。専門は日本文学、口承文芸学。一橋大学大学院連携教授、柳田國男・松岡家記念館顧問を兼務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • ころこ さん

    メディア論として読めないか考えました。テレビをみるように、野良仕事で退屈な日々を紛らわす噺は、メディアの向こう側の世界をつくることで、実際の生活世界よりもイメージの世界を広く豊かにします。芸能人のように河童をみて、社会面の記事をみるように神隠しの噂をする。テクノロジーに頼らない『遠野物語』の時代にこそ、時間と空間を断片化して再構成する人間の想像力が顕在化すると考えると、我々は何時の時代でどうなっても、今見えているものの向こう側を欲望する存在だということを再認識します。小説もまた、そういう読みが成立します。

  • こぽぞう☆ さん

    「遠野物語」こういった本は、読みたいなとなんとなく思っていても、本屋で平積みにされているわけでも、図書館で目立つ場所に置いてあるわけでもなくて、意外と手に取る機会がない。100分で読めるという抄本で読めたのは良かった。次はできれば現代語訳ではない(この本にも文語で引いてあるけど)「遠野物語」を読んでみたい。江戸時代という個人が旅することもままならない時代と、急速に進んだ近代化の明治、その狭間でしか記録できなかった物語。

  • てん さん

    遠野物語をいくつかの角度から読み解き、解説している。作品の成り立ちや位置づけ、採集された物語を「神とつながるものたち」「生と死 魂の行方」「自然との共生」といった角度から解説されている。現代と違い、死が身近に、日常にあったことや、自然をリスペクトし共生していたからこその物語の数々。そこには子殺しや親殺し、親棄てといった負の遺産もある。科学が進歩して何もかも合理的になることが果たして全面的に良いことなのか、考えさせられる。続編である「遠野物語拾遺」も読んでみたい。

  • 加納恭史 さん

    さて、矢作直樹さんの本も少し飽きて、ボンヤリした民間伝承のこの「遠野物語」を読む。ザシキワラシとか懐かしい。山の神とか家の神とかカマドの神とか古代の日本人には神は身近な存在だった。ワラシとは童、童子のこと。その家の繁栄の守り神なのか、ただのいたずら小僧なのか。家の座敷に童子の足跡があったとか。「オシラサマ」も不思議な話だ。大昔に女神あり、三人の娘を伴いこの高原に来た。これは遠野盆地を囲む山々のうち、遠野三山と呼ばれる早池峰山、六角牛山、石神山に三人の女神が鎮座した由来の話。戦前は女人禁制の山でした。

  • Arisaku_0225 さん

    遠野物語が口語でなく敢えて文語で書いているのは文学的な表現方法に理由があって腑に落ちた。遠野物語を人、文学、地域社会から捉えようとするために本書は分かりやすかった。遠野物語は単純な昔話でなく、そして古臭く時代遅れなものでは無い。「生きること」「死ぬこと」「家族」「暮らし」それぞれを捉え直すいいきっかけになる。

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