沢田研二
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沢田研二 プロフィール

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ジュリー…そう呼ばれ親しまれているボーカリスト沢田研二。その端麗なルックスと天性のソフト&艶のあるヴォイスで30年以上にわたって多くのファンを魅了し続けている。また、ボーカリストとしてだけでなく、ソングライティング、ひいては役者としてもその才能を発揮。各界での支持は厚く、50歳を超えた現在でも引く手数多なアーティストの座に堂々と君臨している。歌の世界では勿論レコード大賞の類いを幾度となくかっさらい、映画の世界でもゴールデンアロー賞主演男優賞なんてものを手にしてしまう…。彼にはエンターテイナーという形容詞が相応しいのかもしれない。彼の豊かな表現力はバラードからロックまで、優しい男から薄情な男まで見事に演じきり、深く聴く人の心に染み入るのだ。若いロック・アーティストからもリスペクトされる沢田研二の魅力を探ってみましょう!あなたの好きなあのバンドも、実はジュリーが音楽への入り口だったりしているのです。

沢田(澤田)研二がこの世に生を受けたのは1948年6月25日。鳥取県で産声を上げた後、京都で育つ。中学では野球部、高校では空手部に所属、あのスレンダーな体型からスポーツ無縁の文科系…かと思いきや、なかなかのスポーツマンだった模様。音楽の世界に足を踏み入れたのは、1965年、サンダースのリハーサル中に声をかけられ歌ったのがきっかけでローディーになったのが最初。まだ高校在学中のことであり、その後サリーとプレイボーイズ(岸部修三、森本太郎、人見稔、加橋克己)のヴォーカルとして引き抜かれ、それを機に中退してしまう。このサリーとプレイボーイズというのは後のファニーズ。ファニーズは大阪を中心に人気を集め、1966年5月には「全関西エレキ・バンド・コンテスト」で優勝も果たすほどの活躍ぶり。そうこうしているうちに内田裕也にスカウトされ渡辺プロダクションと契約。グループ名をタイガースと改名し(名付け親はすぎやまこういち)、新宿ACBなどに出演するようになる。

翌年1967年、1月には「第31回日劇ウエスタン・カーニバル」に出演。2月5日僕のマリーでデビューを果たす。同年5月にはあのシーサイド・バウンドをリリース、この頃ファンクラブの会員数は6000人!当時の爆発的な人気が窺い知れますね。世間は俗に言うGSブーム真っ只中。その中でも一際人気を博していたのがこのタイガースなのだ。当時他に注目を浴びていたのがスパイダースブルー・コメッツワイルド・ワンズテンプターズなどなど。ジャズ喫茶やゴーゴークラブが大盛況のご時世。この時代のGSバンドは今で言うアイドルでもあるが、その音楽性の高さにも目を見張るものがあった。

途中、メンバー・チェンジ(トッポ:加橋克己→シロー:岸部四郎)があったりしながらもタイガースの人気は衰える所を知らず、数々のヒット曲を輩出するが、1970年12月に解散記者会見、翌1971年1月24日の日本武道館「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」をもって解散。そしてジュリーは、というと、タイガース時代からソロ・アルバムJULIE69年)をリリースするなどヴォーカリストとしての抜きん出た才能を評価されていた流れを汲んで、自然とソロに転向をはかる。ソロ・シングル第一弾は「君をのせて」(71年11月)。ここからしばらくは、切々と歌い上げる苦しい恋愛がテーマの、より大衆性のある歌謡曲路線が続く。その中にあって72年のあなただけでいい死んでもいいでは後のロック・ヴォーカリスト沢田研二を匂わせる、もともと艶のある声なのにハスキーっぽく声量一杯に歌うという魅力を見せ始める。この年の末には2ndシングルだった許されない愛で第14回レコード大賞歌唱賞を受賞。

71年、大ヒット曲危険なふたりをリリース。ギターのリフも印象的なこの曲で日本歌謡大賞大賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞。今オリジナルの音源で聴くとやはり歌謡曲チックなイメージはしてしまうが、実はどうして同じアレンジをイマの音で再現したとしたらとってもカッコイイロックになるだろう。現にこの曲をカバーするロック・バンドは多い。ジュリーの歌唱法としては、前述のロック的なものとはまた違い、表情巧みに丁寧に歌うというスタイルをとっている。同年の魅せられた夜などでも同様でヨーロッパのポップ・シンガーを思わせる。74年の「恋は邪魔もの」では欧米のロックを彷彿とさせるバックのアレンジと対照的に彼の持ち味の一つ、甘ったるいヴォーカルを聴かせる。この年の9月にリリースされたソロ8作目となるアルバムJewel Julie 追憶のジャケット写真といったらどうだ?この妖艶さは日本のデヴィッド・ボウイと称されるのにも納得。

ビジュアルだけではなく、内容もイギリス、フランスで録音され、不良の香りが漂うロック色が濃厚。この頃からいわゆるフツウの歌謡界とは一線を画すアーティストとして頭角を現し始めている。このアルバム後にリリースされたシングル愛の逃亡者は、イギリスでTHE FUGITIVEとして発売、フランスではモナ・ムージュ・ヴィアン・デュ・モンドも発売された。考えてみればジュリーとイギリス、フランスはよく似合う。グラム・ロックが隆盛したイギリス、頽廃的なムード漂うフランス、それらはジュリーにとって、とっても魅力的な土地に映ったに違いない。特にフランスでは何枚もレコードをリリースしており、75年の巴里にひとりなどはフランスでベスト10入りを果たしている。プロモーション、映画のロケ、と渡仏の機会は本当に多かったようだ。一方国内では勝手にしやがれサムライダーリングLOVE(抱きしめたい)など次々とフックの効いた曲をヒットさせ、日本のお茶の間をジュリー旋風が浸食していく。

80年代に入ると、伊藤銀次佐野元春といった面々と組んで、よりトレンディーなロック路線に移っていく。その繋がりで大沢誉志幸>山下久美子らとも交友を広げ、お互いがお互いの作品に参加し合う。吉田建を始めとするバックバンド”Exotics”と全面的に仕事をしたアルバムA Wonderful Timeは出色の出来映え。彼の一番の魅力である”長く張った時に微妙に二重になる”セクシーな声がこれでもかと活きているのだ。おまえにチェックインを聴き直すと惚れ惚れする!

その後も決して枯れることなく精力的に活動を続け、2000年という区切りの年に2枚組のオリジナル・アルバム耒タルベキ素敵を発表。無骨なロックで知られるGrooversのメンバーなども迎えて、新しい世界をどんどん切り開いている。

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