安楽死で死なせて下さい 文春新書

橋田壽賀子

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784166611348
ISBN 10 : 4166611348
フォーマット
出版社
発行年月
2017年08月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
224p;18

内容詳細

人に迷惑をかける前に、死に方とその時期くらい自分で選びたい。92歳「渡る世間は鬼ばかり」の人気脚本家が語る究極の往生論。衝撃の問題提起で2016年「文藝春秋読者賞」受賞!

目次 : 第1章 戦争で知った命の「軽さ」/ 第2章 命とは誰のものか/ 第3章 人間の尊厳とはなんだろう/ 第4章 私は安楽死で逝きたい/ 第5章 死に方を選べる社会を/ 第6章 二十歳になったら、死を見つめよう/ 付録・読者メッセージとの対話

【著者紹介】
橋田壽賀子 : 1925年、ソウル生まれ。大阪府立堺高等女学校、日本女子大学校国語科卒業。早稲田大学第二文学部中退。初の女性社員として入社した松竹の脚本部を経てフリーの脚本家となる。1966年、TBSプロデューサーの岩崎嘉一氏と結婚。NHK放送文化賞、菊池寛賞、勲三等瑞宝章などを受賞・受勲。2015年、脚本家として初の文化功労者に選出される。橋田文化財団理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 夜間飛行 さん

    秋に腎臓癌の手術を受けた。スタッフの尽力には感謝するが、機械化された医療に身を任せる不安と苦痛を私もささやかながら体験した。思いがけず著者の戦争体験を綴った第一章で涙が溢れた。20才の女学生が死にに行く若者に向ける眼…彼女自身も死ぬ覚悟なのだ。生と死が転倒し、死ぬのが当たり前の世界。生き延びた者として戦争責任を背負っていく著者の姿勢は、戦争を知らない私の胸にもすっと入ってきた。「私の役目は終わった」という言葉は、今の時代との間に距離が空いてしまった嘆きとも取れるが、為すべきことはやり終えた境地とも取れる。

  • パフちゃん@かのん変更 さん

    安楽死云々もさることながら、著者の生きざまに感動した。大正生まれでその頃大学に進学する女性はよほどいい所のお嬢様だけだったと思われる。華族、士族、軍人の娘たちと、はっきりと差別されながらも日本女子大を卒業し、早稲田の文学部に編入する。入学したのは親の財力もあったと思うが戦後親は引揚者で親の力に頼らず、働いて学費を払ったというのがすごい。脚本家として松竹の研究生に1200人受けて50人の採用。一年後入社できたのは6人だけ。女性は著者だけだった。『おしん』や『渡鬼シリーズ』朝のTVドラマ、大河ドラマで大活躍。

  • サルビア さん

    この間、テレビで全身の筋肉が動かなくなっていく難病の女性がスイスで安楽死をするまでを描いたドキュメンタリーをやっていた。その放送をみて安楽死に興味を抱いた。日本では安楽死はまだ認められていないが早く安楽死を認めてほしい。著者は、自分がいつも脚本を書いているテーブルで眠るように死にたいという。安楽死が認められていないのであれば、それが理想の死に方なのだろう。

  • 香菜子(かなこ・Kanako) さん

    安楽死で死なせて下さい。橋田壽賀子先生の著書。橋田壽賀子先生のような超一流の小説家の先生が安楽死で死なせて下さいというお考えを持っている。その事実はしっかりと受け止めなくてはいけない。安楽死の問題を日本全体で考える時が来ているのかも。

  • Kentaro さん

    もしも安楽死させてあげると言われたらありがとうございますと答えて、今すぐ死にます。と書き始められた一方で、あとがきでは、もう何の後悔もないし、いつ死んでもいいと思っているのは事実だけれども、これから死ぬとわかるのは怖い。お医者様にこの注射をすると死にますよと言われるのは怖いから、いつの間にかどの注射かはわからないように処置して欲しい。ずるいけど弱虫だから。 本当は今も亡くなって30年経つ主人の気配のする家の、いつものテーブルの同じ席に座ったまま眠るように死にたい。という言葉が何か心に刺さりました。

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人物・団体紹介

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橋田壽賀子

1925(大正14)年、京城(現・ソウル)生まれ。日本女子大学校卒、早稲田大学中退。1949(昭和24)年、松竹脚本部に勤務。1959年、フリーの脚本家に。手がけた脚本は数えきれない。中でも1983年に放送されたNHK朝ドラ「おしん」は大反響を呼び、広くアジアでも放送される。また1990(平成2)年

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