捨ててこそ空也 新潮文庫

梓澤要

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784101211817
ISBN 10 : 4101211817
フォーマット
出版社
発行年月
2017年11月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
梓沢要 ,  
追加情報
:
541p;16

内容詳細

平安時代半ば、醍醐天皇の皇子ながら寵愛を受けられず、都を出奔した空也。野辺の骸を弔いつつ、市井に生きる聖となった空也は、西国から坂東へ、ひたすら仏の救いと生きる意味を探し求めていく。悪人は救われないのか。救われたい思いも我欲ではないか。「欲も恨みもすべて捨てよ」と説き続けた空也が、最後に母を許したとき奇跡が起きる。親鸞聖人と一遍上人の先駆をなした聖の感動の生涯。

【著者紹介】
梓沢要 : 1953(昭和28)年静岡県生れ。明治大学文学部卒業。’93(平成5)年、『喜娘』で第18回歴史文学賞を受賞しデビュー。歴史に対する知的な洞察とドラマ性で、本格派の歴史作家として評価されてきた。執筆の傍ら、東洋大学大学院で仏教史を学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • あさひ@WAKABA NO MIDORI TO... さん

    仏教にはほとんど縁のない生活を送っている自分のような人でも、ごく自然にすうっと受け入れることができました。人を苦しみから救うために自分を全て捨てることが出来るかといえば、まあ出来ないというのが正直なところ。ただ、人は我欲だけで生きているわけではありません。自分の欲望よりも人のためにという空也の思想は、自分さえ良ければという、やさしさや他人を思いやる気持ちを忘れつつある自分を含め今の時代を生きる人たちに、本当に大切なことは何かということを思い出させてくれそうです。

  • のぶ さん

    空也上人の人物像が良く描かれている良書だった。空也については昔、学生時代に六波羅蜜時の空也像を教科書で習い、京都へ実物を見に行って以来、関心を持つことがなかった。仏教の歴史については詳しくないのだが、浄土宗や浄土真宗が広まる前に南無阿弥陀仏を唱えて布教していたのが空也だったという事を初めて知った。捨てて生きる禁欲的な姿は感動的。そんなスタイルにも好感が持てた。全体を通して平安中期に時代は、病気や治安の乱れた世だったことが良く分かった。

  • Smileえっちゃん さん

    名前は知っていても、どういう生き方をされたのか知りたく手にした本。醍醐天皇の皇子ながら、母の身分の低さから、父母から疎まれ、居場所のない空也が選んだ道。民間を遊行し歩いた念仏聖。野辺の骸を弔いつつ、生きる意味を探し求めた。平安中期、不作と政治混乱中、庶民は餓死状態に追い込まれていた。庶民と苦しみを共に生き抜いた空也。すべての執着を捨てることで心の平安を得ようとした。念仏を唱えることで救われると説かれた法然上人より200年以上前、既に空也が説いていたのですね。

  • ちゃとら さん

    京都に行く前に読了予定だったのに間に合わなかった。西国三十三所巡礼に興味を持ち六波羅蜜寺の空也上人像に惹かれ、六波羅蜜寺から発願した私。難しいけれど面白い小説だった。平将門が絡んでくるところが何とも言えない⁈いつか、もう一度読まなくてはと思い読了?

  • エドワード さん

    我が家は浄土真宗。お盆に唱えるのは阿弥陀経。親鸞の教え「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の起源は、平安時代の空也にある。空也は醍醐天皇の皇子だったが、荒廃する都の姿を見て仏教に救いを探る。尾張、摂津、関東と行脚し、同い年の平将門と出会うのが面白い。興福寺や延暦寺の旧仏教から浄土思想を抽出し、国家や貴族のための仏教を民衆のものにかみ砕いて布教していく姿が素晴らしい。空也は摂関家の藤原実頼や師氏とも親交があり、旧仏教とも対立せず、最後まで市聖として活動した。その足跡は釈迦そのものに相似している。

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