アンのゆりかご 村岡花子の生涯 新潮文庫

村岡恵理

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784101357218
ISBN 10 : 4101357218
フォーマット
出版社
発行年月
2011年09月
日本
追加情報
:
16cm,431p

商品説明

モンゴメリから、そして村岡花子からもらったものは大きい。――梨木香歩。『赤毛のアン』誕生秘話と波乱万丈の生涯。
孫娘が描く、心温まる評伝。

内容詳細

戦争へと向かう不穏な時勢に、翻訳家・村岡花子は、カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と花子の運命的な出会いであった。多くの人に明日への希望がわく物語を届けたい―。その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。情熱に満ちた生涯を孫娘が描く、心温まる評伝。

目次 : プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す―昭和20年(1945)4月13日、太平洋戦争が終結する4ヵ月前/ 第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ―明治26〜36年(1893〜1903、誕生〜10歳)/ 第2章 英米文学との出会い―明治37〜40年(1904〜07、11〜14歳)/ 第3章 「腹心の友」の導き―明治41〜大正2年(1908〜13、15〜20歳)/ 第4章 大人も子供も楽しめる本を―大正3〜6年(1914〜17、21〜24歳)/ 第5章 魂の住家―大正7〜10年(1918〜21、25〜28歳)/ 第6章 悲しみを越えて―大正11〜昭和2年(1922〜27、29〜34歳)/ 第7章 婦人参政権を求めて―昭和3〜13年(1928〜38、35〜45歳)/ 第8章 戦時に立てた友情の証―昭和14〜20年(1939〜45、46〜52歳)/ 第9章 『赤毛のアン』ついに刊行―昭和21〜27年(1946〜52、53〜59歳)/ 第10章 愛おしい人々、そして本―昭和28〜43年(1953〜68、60〜75歳)/ エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る―アン誕生100周年、花子没後40年の平成20年(2008)4月13日

【著者紹介】
村岡恵理 : 1967(昭和42)年生れ。虎城大学文芸学部卒業。祖母・村岡花子の著作物や蔵書、資料を、翻訳家の姉・村岡美枝と共に保存し、’91(平成3)年より、その書斎を「赤毛のアン記念館・村岡河子文庫」として、愛読者や研究者に公開している(不定期・予約制)。また『赤毛のアン』の著者、L.M.モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日本とカナダの友好関係促進につとめる。東日本大震災で保護者を亡くした子どもたちの支援を目的とした「赤毛のアン募金」の運営に参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • ミカママ さん

    初めて手に取った小学生時代から、なんど繰り返し読んだかわからない『赤毛のアン』シリーズの翻訳家の伝記。学生時代の親友から「この村岡花子さんて方、かつてわたしの母校で教えてらしたのよね」と言われた衝撃を思い出す。翻訳家って、生身の人間なんだ?!村岡さんと白蓮との交友関係は他の作家さん著書で読んでいたが、ここでもクロスオーバー。戦時下に敵国の文学を守る彼女、愛する幼子を亡くした悲哀も読め、なんとドラマチックな人生だろう。生涯カナダを訪れたことがなかったのは、意外であった。

  • KAZOO さん

    赤毛のアンシリーズがまだ途中なのですが、この本を訳された村岡花子の生涯をその身近にいた孫娘が書いているものです。私は名前だけを知っていたのですが、朝の連続放送でやっていたみたいですね(テレビ見ない人間にはわかりませんが)。アンの訳は非常に読みやすくすうっと読んでいけて訳だとはあまり感じない気がします。この中では柳原白蓮との交友も書かれておりドキュメントとして興味深く読みました。

  • greenish 🌿 さん

    カナダ人宣教師から友情の証として贈られた一冊の本。『赤毛のアン』のタイトルで愛された名作が誕生する軌跡と、訳者・村岡花子の生涯を孫娘が描く  ---先鋭的な父の影響で女学校に入学しなければ英文学との出逢いはなく、カナダ人宣教師から後の人生を左右する思想・信条を育まれることもなく、ましてや『アン・オブ・グリーン・ゲイブルス』を託されることもない。愛息・道雄との別れなくして己の使命に突き動かされることもなかったであろう。 関連性を持たない日々の積み重ねが、人が生きることの意味をもたらすことに感銘を受けました。

  • 更紗姫 さん

    何故、プリンス・エドワード島に行かなかったのか?娘夫婦を訪ねたアメリカ旅行のハイライトになるはずだった。〈これからはいつでも行けるわ〉〈今回はやっぱりやめましょう〉〈夢を夢のままで置いておくことにした〉・・・わからないでもない。あまりにも長い間 思い描いた憧れを、現実が損なう可能性。もしくは、夢が叶う事で気持ちが萎える事を危惧したのか・・・。村岡氏の奥床しさ故と考えよう。アン、ジェーン、エミリー、パット、フェビア、エルノラの紹介者 村岡 花子さんと、改めて花子を紹介してくれた村岡恵理さんに、感謝します。

  • エドワード さん

    我が家は今「花子とアン」に夢中である。「赤毛のアン」の無い半世紀は考えられない。まさに古典だ。村岡花子さんの業績は、今を生きる日本の老若男女にとってかけがえの無いものである。それにしても、彼女の青春の、何とアン・シャーリーに酷似していることか。そして同じカナダ系ミッションスクールで育った私にも。古今東西、<腹心の友>と<生涯の伴侶>を求める心は同じだ。まさにNHKの連ドラにうってつけの物語。テレビをチラッと垣間見た長女が言った。「毎日卒業式のような服装ね」うーん、言い得て妙だ。ごきげんよう、さようなら。

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村岡恵理

1967年生まれ。成城大学文芸学部卒業。祖母・村岡花子の著作物、蔵書、資料を翻訳家の姉・村岡美枝とともに研究している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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