聖職の碑 講談社文庫

新田次郎

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784062769914
ISBN 10 : 4062769913
フォーマット
出版社
発行年月
2011年06月
日本
追加情報
:
15cm,456p

内容詳細

大正2年8月26日、中箕輪尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す。

【著者紹介】
新田次郎 : 1912年長野県生まれ。無線電信講習所(現・電気通信大学)卒業後、中央気象台(現・気象庁)に勤務。’56年『強力伝』で直木賞、’74年『武田信玄』ならびに一連の山岳小説により吉川英治文学賞受賞。’80年67歳で他界した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • モルク さん

    大正2年におこった尋常高等小学校生徒ら37名中11名の死者を出した駒ヶ岳での遭難。臨場感溢れるシーンの数々。当時の気象観測の乏しさ、あてにしていた小屋が吹き飛ばされ基礎の石垣しか残っていなかったなど不運が重なり、暴風雨の中寒さと睡魔と戦う一夜を過ごし体力体温が失われていく。不運と不幸が襲い事態は最悪の方向へ。弟を背負い息絶えた兄、生徒に自分の衣類を与え必死に守ろうとした先生、赤羽校長の心労、無念を思うと涙溢れる。巻末での取材記はまた圧巻である。読んでよかった。読友さんありがとう!

  • サンダーバード@読メ野鳥の会・怪鳥 さん

    新田次郎の代表作の一つ。昔見た映画では「この子達は私の命だ」というシーンが印象的でした。山岳遭難では同じ新田氏の「八甲田山死の彷徨」も有名ですが、犠牲者の多くが小学生というだけに痛ましい。駒ヶ岳も今ではロープウェイも出来て誰でも簡単に登れる山となりましたが、二度とこの様な悲劇は起こって欲しくないと思います。遭難記録だけでなく、新田氏の取材記録も興味深く読みました。★★★★

  • 雪風のねこ@(=´ω`=) さん

    山という厳しい自然環境が人を育み歴史を繋げている様は、山林に囲まれた国に生まれ生活しないと理解しきれない(←播磨の平野育ち)当初、小屋の補修をせずに木曽小屋に向かっていたならば…と感じていたが後半、著者の検証によってそれは大変困難であった事が判り、納得した。万難を排しても何が起こるかわからないのが世の常であり、それに備え、知恵を合わせ、厳しい環境だからこそ自分より人を助け、生き抜く。それがこの国々に住む人々の心構えなのだ。

  • goro@80.7 さん

    また一つ登らなければならないお山が増えました。多くの幼い命が断たれてしまったのに慰霊碑ではなくなぜ記念碑として建てたのか?やはりそこには前向きな想いがこもっているのだろう。そんな前提で新田次郎はこの遭難を物語に込めた。遭難するときはあれもこれもと輻輳するのだなぁ。教訓となって乗り越えて欲しいとの記念碑なのだと思う。あえて樋口先生を登場させたのは物語の奥行きを持たせるためなのだろう。お線香を持参して登りたいと思います。

  • NADIA さん

    大正2年8月に長野県の尋常高等小学校(今の中学生年齢)の修学旅行として登った伊那駒ヶ岳で生徒教員合わせて11名死亡の大惨事となった実話を基にした小説。やたら長い前振りの第一章が終わり、第二章に入ると遭難はあっという間だ。最大の読ませ所は第三章。遺族が学校にやりばのない怒りをぶつけたりはともかく、直接関係ない第三者が学校関係者の家族をなじり嫌がらせをする場面は現在のネット社会と同じだ。この事故が後の世の学校登山行事の安全遂行に大きく活かされていることに救いを感じる。

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人物・団体紹介

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新田次郎

1912(明治45)年6月6日‐1980(昭和55)年2月15日、享年67。本名:藤原寛人(ふじわらひろと)長野県出身。『強力伝』により第34回直木賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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