広田尚敬

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プロフィール

1935年、東京都生まれ。プロ写真家は24歳から。以来鉄道を撮影し、2021年2月現在、85歳を迎えても現役
国鉄色車両ガイドブック 往年の塗装を振り返り体系的にまとめた決定版』より

商品ユーザーレビュー

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  • お出かけの時でもかさばらず、ちょうどよい大きさとボ...

    投稿日:2021/06/15

    お出かけの時でもかさばらず、ちょうどよい大きさとボリュームの本です。写真もすごくきれいで気に入っています。

    ぽんすけ さん

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  • 冬の夜。しんしんと音もなく雪が降っている。人の気配...

    投稿日:2021/04/14

    冬の夜。しんしんと音もなく雪が降っている。人の気配はない。ぼうっと見える木々のシルエットは鉄道林だ。そのふもとを一本の線路が通っていて、小さなホームがある。夜明けを待つホーム。そこには電灯がともっていて、あたりをほのかにオレンジ色が照らし、雪が反射する青白い光との間に、淡い境界線を描いている。まるでおとぎ話のような一枚の写真。当写真集の27ページにあるその写真は、1973年12月20日に宗谷線の東六線駅で撮影されたものだ。私はこの写真を見た瞬間、魂を掴まれたような気持になった。幻想的、と表現すればいいだろうか。以来、私はこんな風景と出会うことが、私にとっての「旅」である、と感じ、そんな感動を探すようになった。本写真集は以下の4章構成になっている。第1章「永遠の蒸気機関車たち」 第2章「蒸気機関車を追って (驀進 狩勝峠 夢幻 昭和34年北海道)」 第3章「僕と鉄道 (僕とローカル線 レールとともに 動止 我が友4-4-0)」 第4章「鉄道のくに(国鉄 私鉄特急 新幹線 蒸気機関車再び)」。このうち第2章は広田氏の写真集「昭和三十四年二月北海道」の捕逸編といった体裁。広田氏の写真の美しさは、無類の情緒とロマンが漂う画面構成の力にある。東六線駅の写真も、少し手前に引くと、小さな待合室があることを私は知っているし、知らなくても、ネットで検索すればわかるのだ。けれども、このホームと線路の世界を抽出し、圧倒的な純度を獲得したのは、写真芸術ならではである。広田氏は、鉄道を愛する人が風景から感じる情緒を、写真に定着させる能力を持っているのだ。だから、一枚一枚の写真が、圧倒的な情感をもって、見るものに迫ってくるのである。第1章、1969年に撮影された厚岸-糸魚沢C58。チライカリベツ川の美しい湿原が車窓に展開する私も大好きなところ。そこをC58が走る失われた風景は絶品。室蘭線をすれ違う上り線と下り線のD51。石炭輸送にも力を発揮したD51が、複線区間をダイナミックに行き交う。三笠駅の9600。無煙化の波が押し寄せる中、最後までSLが活躍した幌内線。特に、幼少の私が、父に連れられて見た9600(残念ながら記憶はないのだけれど、写真が残っている)だけに感慨深い。名寄駅のC5550。C55が最後まで活躍した宗谷線。この機の最大の特徴である美しいスポーク動輪を収めた1973年12月の写真。金華-常紋間を走るD51444。私の父も蒸気機関車を撮影するため、石北線の常紋駅、金華駅はよく利用していた。そんな常紋駅は70年代のうちに廃止。残った金華駅も近く廃止になると言う。金華で乗り降りしたことのある私も寂しい。第2章、常磐線、広野-水戸間の蒸気機関車の力強い姿。根室線の旧線、狩勝峠を越える往年の名勝、狩勝-新内間の雄大な景色を行くD51。1965年の写真。熱と煙で、機関士が命がけの仕事をしたところでもある。昭和34年(1959年)の北海道訪問からは、寿都鉄道湯別駅の様子、函館線黒松内駅の馬橇、真谷地、大夕張、美流渡、角田といった石狩炭田を走る炭鉱鉄道、然別山を背景に疾走する北海道柘植鉄道の8622、根室柘植鉄道の銀竜号、厚床を起点としていた馬鉄風連線などいずれも貴重なものが紹介されている。第3章 若桜線で、鉄路を通学路として歩く生徒たち。線路を歩くことが出来た和やかな時代に思いを馳せる。大雪が去った後の大畑線正津川駅。屋根に降り積もった雪の印象的なこと。大雪の後の空の美しさは北国に住むものが味わう特権だ。名寄線、標津線といった今はなき路線たちの美しい風景。第4章 宗谷線、標津線、日高線の北海道ならではの自然を背景とした鉄道風景。特に新冠-節婦間の写真が掲載された日高線は、線路が長く海のすぐそばを走る抜群の車窓を持つ路線。3編成の気動車が出発を待つ全盛期の興部駅。名寄方面、紋別方面、雄武方面の3本だろう。このあたりは、私の父が、蒸気機関車撮影のため、何度も鉄道で訪れたところだ。倶知安付近を走るC62重連による急行「ニセコ」。夜景に思える。急行「ニセコ」が倶知安付近を、夕刻に通過するダイヤだったかどうか、私は覚えていなかったので、この写真は逆に印象的だった。国鉄の象徴であるスワロー・エンジェルのエンブレムを付けたC622も、ニセコを牽いた。宮古線田老駅付近。ネコと鉄道の風景はとてもしっくりいく。旧式の国電たちの姿。当時の車両たちは、それはそれで味があった。後藤寺線、筑前庄内-船尾で鉱業所の前を行く列車。鉱山と鉄路という往年の産業を象徴する一コマ。1980年5月、佐賀線諸富-筑後若津間を行く急行「ちくご」。佐賀線は1987年に廃止となったが、筑後川昇開橋は重要文化財としていまも姿を残している。多くの貴重な文化遺産が取り壊されてしまった北海道の現状と比べるとうらやましい。ちなみに、いま現在、国内で使用されている可動式の鉄道橋梁は、四日市市にある末広橋梁のみであり、私は、先日、三重県までその橋を見物に行きました。以上、印象的な写真を羅列的に印象をまじえてかかせていただいたが、これらはあくまでほんの一部。是非とも本書を買って、素晴らしい数々の写真を目にしていただくことをオススメします。

    ココパナ さん

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  • 昭和30年代の北海道は、道路整備もままならず、冬季の...

    投稿日:2021/04/16

    昭和30年代の北海道は、道路整備もままならず、冬季の移動手段と言えば、ほとんど鉄道のみであり、しかも開拓の名のもとに、実質的な先遣隊が、各地に入殖を行っているような状況で、天候によっては運行もままならず、少なくとも冬季に首都圏の人が旅行に行くようなところではなかった。その一方で、この時代の北海道は「蒸気機関車の王国」とも呼ばれていた。この当時の鉄道事情についても本書内で言及があるが、1956年(昭和31年)に最新鋭気動車であるキハ44800形が準急「日光」の運行を開始。東海道線は全線電化され、1957年には仙山線、北陸線といった地方にも電化は波及、ついに1958年には東京―九州を結ぶ夜行寝台特急「あさかぜ」に電車が登場する。そのような時代変化が急速に進む中にあって、北海道の鉄道たちに残された時間の少なさを、広田氏は肌で感じ取ったのだろう。前述の通り、当時の北海道は首都圏の人によって遠隔の地だ。気安く行ける場所ではとてもない。本書の後半に、「鉄道ファン」名誉編集長である宮田寛之氏が、これらの路線の注目すべき車両と背景、広田氏の経歴等について、詳細に解説を寄稿してくれていて、それ自体がとても参考になるのだけれど、そこにこのような一説がある。「現代の日本人が認識する地球上のどの国よりも、当時の人たちにとって北海道は、はるかに遠い所だったのです」。しかも、北海道の各鉄道は開拓や運炭のため、山深い奥地や、開拓の前線に張り巡らされている。それらを巡るのは、様々に厳しい条件があったであろう。しかし当時24歳だった気鋭の鉄道写真家広田尚敬(1935-)氏は「今行かねば」、という思いで、1959年の冬に北海道へ向かったに違いない。厳冬期の北海道にける滞在旅行は1か月に及んでいる。そこで記録された数々の貴重な蒸気機関車と、鉄道施設周辺の写真たちは、当然のことながらすべて白黒。しかし、それゆえのリアリティと質感がともなって、訴える力の強い写真ばかり。全184ページに及ぶあまりにも貴重な記録だ。写真が掲載されている路線を挙げよう。(カッコ内に参考までの国鉄等接続駅を書く) 1) 寿都鉄道(黒松内) 2) 国鉄胆振線 3) 日本製鋼所室蘭工場(東室蘭、御崎) / 栗林商会(本輪西) 4) 北海道砂鉄伊達工場(長和) 5) 三菱鉱業大夕張鉄道(清水沢) 6) 北海道炭礦汽船平和鉱業所真谷地専用鉄道(沼ノ沢) 7) 北海道炭礦汽船角田鉱業所専用鉄道(夕張鉄道 新二岐) 8) 夕張鉄道(野幌、栗山、鹿ノ谷) 9) 北海道炭礦汽船幌内鉱業所美流渡専用鉄道(美流渡) 10) 三菱鉱業美唄鉄道(美唄) 11) 三菱鉱業美唄鉱業所茶志内専用鉄道(奈井江) 12) 三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道(茶志内) 13) 雄別炭礦茂尻鉱業所専用鉄道(茂尻) 14) 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道(上芦別) 15) 芦別森林鉄道(上芦別) 16) 三菱鉱業油谷鉱業専用線(三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 油谷) 17) 日本甜菜製糖十勝清水工場専用鉄道(十勝清水) 18) 北海道拓殖鉄道(新得) 19) 根室拓殖鉄道(接続なし) 20) 明治鉱業庶路鉱業所専用鉄道(西庶路) 21) 雄別鉄道(釧路) / 釧路埠頭(新富士) 22) 釧路臨港鉄道(東釧路) 23) 日本甜菜製糖磯分内工場専用鉄道(磯分内) 24) 置戸森林鉄道(置戸) 25) 運輸工業専用線(桑園) 26) 北日本製紙江別工場専用線(江別) 27) 定山渓鉄道(東札幌) 28) 茅沼炭化工業専用鉄道(岩内) 29) 簡易軌道風蓮線(厚床) これらの鉄道線は、現在までにすべて廃止となっている。北海道が蒸気機関車の王国と呼ばれた所以は、運炭鉄道、森林鉄道、殖民軌道といった様々な鉄道に、古典的な蒸気機関車が運用されていたためである。全国的に、昭和30年代にはほとんどの個性的な蒸気機関車が廃車になり、規格型汎用機に置き換わっていく中で、北海道ではまだ彼らが活躍していたのだ。特にコッペルやボールドウィン、さらにはノース・ブリティッシュ製の古典蒸気機関車が、各地で入替等を中心に実働していたのである。しかし、これらを撮影をするといっても、簡単なことではない。まず当時は情報収集手段が限られている。時刻表に記載されるような系統的な運転になっていないものがほとんど。広田氏が参考にしたのも現地のファンから入ってくる情報だ。これに基づいて、前もって広田氏は、主だった事業所に手紙を送り、来訪の旨を告げている。その甲斐あって、彼は様々に貴重な巡り会いを繰り広げる。根室では、積雪で運行できなくなった銀竜号を、事業者の協力で機関庫から出すだけでなく、写真のために呼びかけで集まった周囲の人が乗車し、「自然な写真撮影」に協力してくれた。十勝清水では、かつて磯分内にあって、その由来が取りざたされたライケンハンマー(Lunkenheimer)がシートで覆われているのに遭遇。青年の熱意が通じてシートが外され、無事撮影に成功する。置戸森林鉄道では、訪問2か月前に廃車となった木曽と同じ1921年ボールドウィン製B1形リアータンク3号機が庫内に保管されていたものに出会う。そのような過程や、現地でもらったメモ、受け取った手紙なども引用があってとても楽しい。一つ言えるのは、当時の寒冷地での生活というのは、現代とは比べ物にならないくらい厳しいものだったと思うのに、広田氏のファインダーから伝わる人々の表情が、とても輝いているということである。現地の人たちも24歳の若者の訪問を、喜んでいたと思うし、厳しいながらも、希望を見出して生活していたのだろう。そういった強さや暖かさが伝わってくる。蒸気機関車と似ている。肝心の写真ももちろん素晴らしい。貴重な蒸気機関車およそ90機が収められている。美唄や真谷地ではE形タンク機4110形、夕張鉄道では11形1Dテンダー機、北海道拓殖鉄道では国鉄8620形と同形の8622号機、寿都鉄道ではボールドウィン1897製1C形テンダー機8100形など、数々の名品を見事に撮影している。胆振線では現地の人の案内でキマロキ編成への添乗と撮影にも成功。とにかくすべてが貴重過ぎて、書ききれない思い溢れる写真集だ。その他、古くは蒸気機関車ファンのだれもが憧れていた磯分内や奈井江の由緒ある機関車たち、夕張鉄道の角田炭鉱を走っていた電車、カメラを構えていると次々と列車が通ったという活気あふれる釧路臨港鉄道など、私の「当時の風景が見られたらどんなにいいだろう」という思いを叶えてくれたものばかり。本当に当時の広田氏の熱意に感謝の思いでいっぱいになる写真集でした。

    ココパナ さん

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