どんぐりと山猫

宮沢賢治

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784323038933
ISBN 10 : 4323038933
フォーマット
出版社
発行年月
2017年06月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
32p;32

内容詳細

どんぐりたちは、口々に「自分がいちばんえらいのだ!」といいはる。山ねこが判決を申しわたす。「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」なかなかいい判決ですね!

【著者紹介】
宮沢賢治 : 1896年岩手県花巻生まれ。盛岡中学校を経て、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)卒業。郷里で農学校の教師をしながら創作活動を行うが、のちに退職して創作に専念。しかし健康を害し1933年37歳の若さでこの世を去った。岩手の地を深く愛し、架空の理想郷イーハトーブとして作品にも登場させた。短歌、童話、詩など数多くの作品を残すが、生前に出版されたのは『春と修羅』『注文の多い料理店』の2作のみ。没後評価が高まり、国民的作家となった

いもとようこ : 兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学油画科卒業。『ねこのえほん』『そばのはなさいたひ』でボローニャ国際児童図書展エルバ賞を2年連続受賞。『いもとようこ うたの絵本1』で同グラフィック賞受賞。2015年、パリとボローニャで絵本原画展を開催(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • おくちゃん🌸柳緑花紅 さん

    先日読んだ青山美智子さんの「ただいま神様当番」に出てきた作品。深い!宮沢賢治の作品、いもとようこさんの画が効いている。ある日、一郎のもとに、山猫からおかしな(確かにおかしい)ハガキが届く。山猫は面倒な裁判に困っていると言う。それはどんぐり達が誰が一番偉いかでもう3日も争っているから。まさにどんぐりの背くらべ?その争いを止めるための一郎の言葉。その言葉でどんぐり達はシーンと固まります。傲慢であるなかれ、偉ぶるなかれ。謙虚さこそが大切。そう私は受け取ったけど。。。

  • yomineko@猫と共に生きる さん

    誰が一番偉いのかを争うどんぐり。って人間の事ですよね?争いは中々決着せず、裁判の長引く。あ、やっぱり人間界か。そこで山にやって来た一郎に相談すると「一番頭がひしゃげたのが偉い」と言い、一件落着!一郎ってまるでキリスト様みたい。だって、「見映えの良いものよりも私はそうではないものを愛する」から😊いもとようこさんの絵が可愛いけど、山猫のくせにタバコ吸っているのが気に入らない(笑)昔だから仕方ないかな(笑)

  • 馨 さん

    山猫の言う面倒な裁判とは何かと思いきや、どんぐりたちがリアルに背比べしていました。どんぐりたちの争いを止めるために一郎氏が下した判決は見事です。

  • ヒラP@ehon.gohon さん

    「どんぐりと山猫」は不思議な物語です。 登場する役者といい、一郎が裁判に向かう途中の光景といい、裁判そのものも全てが非現実の世界です。 それだからの空想物語なのですが、数々の絵本の中でイメージは絵本作家の中で練り上げられています。 そんな中で、いもとようこさんの世界は、ファンタジックで、とても親しみを持てました。 文章も字体を変えたり、大きさを変えたり、シンフォニックな仕立てで、説得力をもたせたり、工夫のなかでこの物語を、感じ安く仕立てています。 この絵本のおかげで、この物語を見直しました。

  • k sato さん

    宮沢賢治の作品にいもとようこさんの絵を添えて(´▽`)誰が一番偉いかを決めるどんぐりたちの諍い。山の裁判官・山猫が調停します。しかし、毎年の諍いに頭を悩ませる山猫。今年は、優秀な陪審員を召喚しました。それは、人里にすむ「かねた一郎」少年でした。一郎少年は頓智を働かせ、山猫も唸る判決を思いつくのでした。誰も損得しない公平な判決で一件落着。名誉や肩書に固執する人間を戒めるような裁判でした。また、どんぐりの背比べを肯定する意図も感じました。どのどんぐりにも良さがあって誰もが唯一無二だと伝えたかったのでしょう。

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人物・団体紹介

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宮沢賢治

1896年、岩手県花巻生まれ。盛岡高等農林学校卒。農学校で教鞭を執るかたわら、意欲旺盛な創作活動をする。30歳の時に農学校を退職、独居生活に入る。羅須地人協会を設立、農民講座を開く。青年たちに農業を指導したが、肺を患って病臥した。1933年、肺病により死去。生前に詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い

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