最後の雷撃機 光人社NF文庫

大澤昇次

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784769829829
ISBN 10 : 4769829825
フォーマット
出版社
発行年月
2016年11月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
291p;16

内容詳細

三度雷撃して生還した者はいない―と言われた雷撃隊員として八百キロ魚雷を抱いた艦上攻撃機を操り、太平洋戦争を戦い抜いたパイロットの熾烈な戦場体験。ソロモンのサメの海を泳ぎ、台湾沖では十七機編隊中のただ一機の生還。翔鶴の艦攻隊に配置以来、ソロモン、北千島、比島、沖縄と転戦した海軍搭乗員の証言。

目次 : 第1章 憧れの海軍航空隊へ/ 第2章 雷撃機操縦員/ 第3章 空母翔鶴艦攻隊/ 第4章 ブーゲンビル島沖航空戦/ 第5章 タロキナ沖攻撃/ 第6章 北の海で/ 第7章 台湾沖航空戦/ 第8章 フィリピンでの戦い/ 第9章 沖縄作戦・特攻・終戦

【著者紹介】
大澤昇次 : 大正9年(1920年)5月、新潟県新発田町(現・新発田市)に町谷家の次男として生まれる。昭和10年(1935年)6月、横須賀海兵団入団。9月、海軍通信学校入校(42期生)。13年2月、霞ヶ浦海軍航空隊に入隊(43期操縦練習生)。11月、艦上攻撃機操縦員として館山海軍航空隊入隊。以後、鈴鹿空、宇佐空、筑波空、鹿屋空に勤務。18年5月、空母翔鶴乗組。11月5日、第一次ブーゲンビル島沖航空戦に参加。10日、タロキナ攻撃に参加、被弾・不時着水。19年3月、五五三空北千島派遣隊(4月1日、攻撃二五二飛行隊に編制替え)で幌筵島に進出。10月14日、台湾沖航空戦に参加、17機中唯一の生還機となる。20年3月20日より沖縄作戦に参加。5月、任海軍少尉。終戦で復員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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  • 黒瀬 木綿希(ゆうき) さん

    高度0m、海面すれすれを突撃する。眼前の海面は炸裂した弾丸の飛沫で雨のようだ。一発でも避け損ねたら命はない。体は石のように固く、ただ狂ったように右に左に舵を切り、死への一本道を突き進む…。三度雷撃して生還した者はいないとまで言われる低い生存率の中、太平洋を飛び回った著者の記録。時にはサメのいる海を泳ぎ、台湾沖では17機編隊で1機のみ生還という強運と実力の持ち主。魚雷投下後、一瞬にして敵の砲火に包まれて「あっ」と思った時にはプロペラが止まり、何も見えない闇夜の海へ不時着水を迫られる臨場感あふれる記述が印象的

  • スー さん

    13開戦時は教官をしていて、その後空母翔鶴搭乗員になりそこからラバウルに進出しブーゲンビル島の戦いに参加しタロキナ沖で被弾して漂流し次は北千島に派遣され台湾沖では17機で米艦隊に挑み筆者が機長を務める隊長機だけが生還しフィリピンそして沖縄戦に参加し無事に終戦を迎える。下士官という事で状況も分からずあちこちに派遣され命がけの任務に投入される悲哀を感じます。筆者はほとんど雷撃訓練を受けずに実戦参加しており空母部隊以外はクンレン不足だったようです。それに台湾沖戦では200機を超える大編隊でしたが協力訓練も無く

  • Mikarin さん

    台湾沖航空戦での敵艦隊肉迫時の対空砲火の描写が激烈。VT信管炸裂の中をよく生還できたと感じる。(部隊17機中、著者1機のみ生還)

  • ゆうか さん

    切なくなった。 著者の大澤さんは今もご健在なのか気になります。

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