能、ドラマが立ち現れるとき 角川選書

土屋恵一郎

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784047035355
ISBN 10 : 4047035351
フォーマット
出版社
発行年月
2014年01月
日本
追加情報
:
262p;19

内容詳細

震えるような感動はどこからくるのか。能の多面性に挑む白熱の能楽教室。

室町以前の「文学」を解体し、身体芸の総合芸術へと変革した能。
今に伝わる代表的な作品の舞台現場から、能という装置と身体によって現出する見えざるものを凝視し、逸脱的テキスト論を展開。現代の能楽解体新書。


【著者紹介】
土屋恵一郎 : 1946年生まれ。明治大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。明治大学法学部教授。専攻は法哲学。法学者、能楽評論家。芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • Kazuo さん

    能の作品論(「井筒」等)。私は「能」の身体性、武道やコレオグラフィーとの共通性からの興味により本書を読んだ。期待していた内容には触れられていなかったが、なぜ「歌舞伎」が庶民の芸能であり「能」が武士の芸能であるのかが、自分なりに少し理解できた気がする。能では、歌舞伎にはない過剰な精神性があり、分かりやすい「勧善懲悪」的な結論は出ない。TVでも地上波とは言わないがBSで(オペラと同程度には)能を放送してもらいたい。ある程度の量を経験しなければ、本質を直接提示するタイプの芸術は理解できるようにならないのだから。

  • mustache さん

    井筒から砧まで、十曲を取り上げた作品論。世阿弥と元雅の作風の違いなど大胆かつ斬新。とりわけ「能はおそらく退屈な芸術である」と断言するのに瞠目した。「退屈な時間のなかで・・・永遠にも思えるほどの記憶が生まれるのも能である・・・退屈など恐れることはない。そこに永遠があるなら、待つしかないのだ。」すごい!

  • Mitsuaki Shimode さん

    宝生閑の話が多く、能評がブレ気味。

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土屋恵一郎

1946年生まれ。明治大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。明治大学法学部教授、明治大学学長を経て、同大学名誉教授、千葉工業大学特別教授。専門は法哲学。法学者、演劇評論家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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