家康と家臣団の城 角川選書

加藤理文

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784047037045
ISBN 10 : 4047037044
フォーマット
出版社
発行年月
2021年11月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
318p;19

内容詳細

家康自らが心血を注いで築いた城は極めて数が少ない。関ヶ原合戦後の築城はすべて天下普請。これらの城は、単体で所領を守ろうとした豊臣系の城とは異なり、全国各地に配置された城が互いに補い合うことを狙った築城だ。ここが織豊系の城と大きく異なる。家康が手掛けた代表的な城は浜松城と駿府城。近年の駿府城の発掘調査で家康の城の姿が見えてきた。家康とその家臣団、そして幕府がどのような城造りを目指したかを解き明かす。

目次 : 第1章 家康の築城/ 第2章 戦国大名徳川氏の城/ 第3章 天下普請の城/ 第4章 徳川家臣団の城/ 第5章 合戦と陣城/ 第6章 徳川政権の城

【著者紹介】
加藤理文 : 城郭研究家。1958年、静岡県生まれ。81年、駒澤大学文学部歴史学科卒業。2011年、広島大学にて学位(文学博士)取得。静岡県教育委員会などを経て、中学校教諭。公益財団法人日本城郭協会理事・学術委員会副委員長、織豊期城郭研究会共同代表、NPO法人城郭遺産による街づくり協議会監事を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • パトラッシュ さん

    小説や映画で描かれる攻城戦は本城での決戦の場面が主で、そこに至るまでの拠点城郭や陣城での戦いは無視されるか数行で片付けられる。しかし家康は豊臣勢や周辺大名との戦闘の可能性を考慮して防衛拠点たる城を整備し、自分の子や信頼できる部下を入れて敵の進軍を遅らせる戦略的城郭政策で一貫していた。また攻める際にも陣城や砦を多数築く作戦は関ヶ原以後は全国に拡大し、元和偃武での大坂城陥落となって結実した。家康の考えは江戸幕府にも受け継がれ、一国一城制や大名の鉢植え政策となっていくなど諸国統制の基本となった経緯がよくわかる。

  • Kiyoshi Utsugi さん

    加藤理文の「家康と家臣団の城」を読了しました。 先日、日本城郭協会の城郭検定を受けた後に、加藤理文氏の講演会に参加したこともあって、読んでみたくなりました。 静岡県生まれの方やったんですね。 中井均氏が織田信長、豊臣秀吉の城、加藤理文氏が徳川家康の城について、同じ角川選書から出している三部作になるそうです。 個人的には、天下普請の城の話が面白かったですね。これによって豊臣秀吉方の武将たちから技術を習得したという話が新鮮でした。

  • ようはん さん

    築城技術に関しては天下統一戦や朝鮮出兵で揉まれた豊臣恩顧の大名の方が徳川家よりも上でその対抗として一国一城令と天下普請を行って技術を利用・吸収して豊臣系大名の力を削いでいったのは家康の上手い所。

  • chang_ume さん

    「徳川系」城郭の傾向を整理。新知見としては、天正期駿府城を豊臣政権が強く関与した徳川家康の築城と理解し、「豊臣領国最東端」の性格が付与されたとすること。関ヶ原戦後の伏見城を豊臣期と徳川期の建物「混在」としつつ、天守を大和郡山城からの移築とすること(ただし両城天守は寸法が大きく異なるはず…)。諏訪原城・丸子城の馬出を武田期ではなく徳川期とすること。直線的な塁壁と多聞櫓の多用を藤堂高虎発案の徳川系築城技術の典型とすること、など。全般的に背景の社会理解について言及が弱く、城郭研究としては不満が残るところも。

  • ヘムレンしば さん

    三河の小さな領主から天下を取るまで。徳川家の城作りの変遷を追った本です。最初の砦みたいな簡素な城から、強敵武田家との対立の中で武田流の城作りを学び、さらに豊臣家との対立から西国の緻密な城作りを学びと、戦いながら成長する様は少年漫画みたいやなと変な感想を持ったり。最終的には天下普請の権力を使って構造は簡単だけど巨大な石垣!巨大な堀!巨大な天守!を作るも、火事や資金難でその後は再建されなかったりと、日本の権力者って海外に比べて質素なんだよなって。

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