革命か反抗か カミュ=サルトル論争 新潮文庫

佐藤朔

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784102114094
ISBN 10 : 4102114092
フォーマット
出版社
発行年月
1993年01月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
16cm,174p

内容詳細

歴史を絶対視するマルクス主義を批判し、暴力革命を否定し、人間性を侵すすべてのものに“ノン”と言い続けることを説いたカミュ。彼の長編評論『反抗的人間』の発表をきっかけにして起きたサルトルとの激しい論争を全文収録。カミュ、サルトル二人の思想の相違点を知るとともに、現代における人間の尊厳、自由について考えさせる必読の書。ほかにF・ジャンソンの二論文を収める。

目次 : アルベール・カミュあるいは反抗心(フランシス・ジャンソン)/ 『現代』の編集長への手紙(アルベール・カミュ)/ アルベール・カミュに答える(ジャン・ポール・サルトル)/ 遠慮なく言えば…(フランシス・ジャンソン)

【著者紹介】
佐藤朔 : 東京生れ。慶應義塾大学仏文科卒。同大塾長、私大連盟会長等を歴任。フランス学術文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 絹恵 さん

    かつては友人同士だったカミュとサルトルが論争するきっかけになったのは、やはりこの時代の空気によるものだったのだと思います。この空気に感化されていたのはサルトルで、カミュは呑まれることなく自身で考えることで反抗心の重要性を唱えました。この時代だからこそ成立した論争であり、個人的には絶対的な不条理を理解しながら文学的に展開したカミュが優勢だと思います。

  • ころこ さん

    表面上の勝者と敗者が、本当のところ入れ替わっているようにみえます。内田樹によると、サルトル・カミュ論争と高橋・加藤論争は同じ構造だといいます。サルトルは正しい。しかしその正しすぎる正しさは、いち早く正しさの方に与することにより他人を断罪する正しさだ。そのことに対するためらいを持つカミュは、正しくないのかも知れない。しかし、そのためらいこそが、本当に必要な倫理的態度だといえるのではないか。正しさと倫理のどちらに立つのか試されていますが、最近の風潮にある正しさをみても、この論争の現代的意義はなお有効です。

  • しんすけ さん

    現状変革に弛まない人間たちの友情の書して読んだ。 カミュが書いた『反抗的人間」を巡っての批判と反批判が相次ぐ論争の書であることは確かだ。 しかし相手の誤解を多くの文章で指摘しようとする姿勢は友情無くしては語れない。 不幸にして、この論争後にカミュとサルトルの交友は途絶える。 それは二人が、他に譲ることができない自分の考えを持っていた人間だったからだとぼくは思う。 日本の学会でも討論はあるが、こんなに熱い討論に出会ったとはない。 建前と形式の慮りで、何が対象なのかも隠蔽されてしまうことが多い。

  • 關 貞浩 さん

    サルトルの主宰する雑誌上で展開された評論を通じ、カミュとサルトルの決別の経緯をたどることができる。カミュの「反抗的人間」に対するジャンソンの評論に対してカミュが反駁に用いた方法論を、サルトルは不適切として指摘する。政治的見解における対立であり、特にカミュの態度の硬化が目立つ。己の無知を知るという基本的態度を放棄している点でカミュは冷静さを欠いているが、彼はサルトルに裏切られたと感じたのかもしれない。自分の感性を信じ、一貫して反戦を主張し続けたカミュ。現実の彼もまた、彼が描き出した主人公たちに重なるようだ。

  • テツ さん

    サルトルとカミュによる論争。両者ともに好きなのでどちらにも肩入れしたくないけれど、終始冷静に反論を重ねるサルトル(とジャンソン)と頭に血が上り情熱を原動力に噛みつくカミュの姿からはまるで双方の創作した物語と同じ香りがする。妥協点を見つけるためではない。おそらく両者ともに相手を説き伏せ納得させられるとも思っていない。後世に当時の世論や思想の流れを知らない東洋の島国の僕が目にすると、これは自分の価値観や思想信条で相手をブンナグル様子がそっくりそのまま作品に見える。

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