ヴェルディ(1813-1901)
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ヴェルディ(1813-1901) レビュー一覧

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1449件
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  • 大阪でのバイロイト引っ越し公演「ワルキューレ」を聴...

    投稿日:2024/03/06

    大阪でのバイロイト引っ越し公演「ワルキューレ」を聴いてシッパーズという指揮者に興味が沸きいろいろ集めているのだが、どれも素晴らしくオペラ指揮者として超一流であったことがわかってきた。ソニーから出ていたメト72年の「マイスタージンガー」を聴いても前奏曲から見事でオペラも大いに盛り上がり観客も心から楽しんでいる様子が音に出ている。ザックスを歌うテオ・アダムがベーム盤、カラヤン盤とは比較にならない良さなのもシッパーズがそれだけ引き出す力を持った指揮者だったという証明なんだと思う。日本では徹底的に不評だったシッパーズで唯一褒められたのが「トロヴァトーレ」。それも歌手がいいからだなんて言われたが、いったい何を聴いているのだろう。ここでのシッパーズは早めのテンポで切れ味抜群。血沸き肉躍る音楽を作り出している。同じ方向のムーティと比べ、ムーティが一本調子になりがちなところをシッパーズは緩急をつけて単純化させないのだ。歌手の出来は言うまでもなく最高。このオペラを代表する名演。

    フォアグラ さん

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  •  カラヤンがウィーン国立歌劇場の音楽監督時代に、ジ...

    投稿日:2023/12/29

     カラヤンがウィーン国立歌劇場の音楽監督時代に、ジョン・カルショウのプロデュースで録れた最初の《オテロ》である。同曲の決定盤の呼び声も高い名盤だ。  実際このレコードは歌手のスター性も指揮者とオーケストラの磐石さも録音のリアリティも、三拍子揃った名作といえる。同時期に収録された《アイーダ》ともどもドリーム・キャストによる夢の共演が実現した、今では信じ難いレコードだ。  長いレコード産業の歴史上でも、これほど条件の整った作品は、そう多くはない。  ショルティの《指環》カラヤンの《薔薇の騎士》ベームの《コシ・ファン・トゥッテ》ブリテンの《戦争レクィエム》くらいではないか?  こうして見ると、プロデューサーの力量の大切さが分かる。結局、ジョン・カルショウとウォルター・レッグの作品が残ったことになるではないか。  カラヤンは天下のオテロ歌い=マリオ・デル・モナコを主役に立てて、カルショウとともにレコード史上に残る《金字塔》を打ち立てた後に、改めて《オテロ》に再挑戦している。カラヤンが旧録音に不満を感じた訳ではなかろう。その時点でやり残したことがあったということでもないだろう。ただ、芸術家として経験を重ねるうちに、もっと何か伝えたいものが生じたのであろう。カラヤンの二度目の《オテロ》には、はち切れんばかりの思いが刻印されている。その叫びは私達の心を打つ。しかし、レコード(作品)としての完成度は旧盤に及ばない。実際、再演盤は、レコード・アカデミー賞まで獲得したにも関わらず、現在は廃盤の憂き目にあっている。  歴史に残る名盤を生み出すには優れた演奏を収録する(必要条件)いうだけではなく、伝説を生み出す(十分条件)ことが必要だということなのだろう。

    jasmine さん

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  • これは発売当初「完全限定盤」だったはずだ。現に一度...

    投稿日:2023/12/17

    これは発売当初「完全限定盤」だったはずだ。現に一度買えなくなった。それが何でこういうワゴンセールのようなことになるのか。どうもこの辺のヒストリカル物専門マイナーレーベルは胡散臭い。しかし内容は素晴らしい。オリジナルのレコーディングと比較してどうのこうのと難癖付けず、これはこれで楽しめばよい。私はトスカニーニのヴェルディレクイエムは、これで聴くのがほとんどだ。もう一つ付記すると、解説は訳が出鱈目で何が書いてあるのかあまりよくわからない。

    kentaroh さん

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  •  カラヤンは、ウィーン国立歌劇場音楽監督時代に、De...

    投稿日:2023/11/02

     カラヤンは、ウィーン国立歌劇場音楽監督時代に、Deccaにオールスターキャストを揃えた《アイーダ》の決定的名盤を遺している。プロデュースはジョン・カルショウが務めた。半世紀以上経過した現在でも、当盤を同演目を代表する名演であるとする聴き手も少なくない。  この頃のカラヤンはベルリン・フィルの常任指揮者であると同時に、シュターツオーパーとスカラ座の音楽監督であり、また、フィルハーモニー管弦楽団とウィーン交響楽団の首席指揮者でもあった。ヨーロッパの主要都市のもっとも重要なポストを兼任するもっとも多忙で人気の高い指揮者であり、ヨーロッパ音楽界の帝王と称される存在であった。カラヤンがタクシーのドライバーに「どちらまで?」と聞かれた際に、「どこでもいい。どこでも私は必要とされているから。」と答えたという有名なエピソードが残っている。おそらくカラヤン自身にとっても、もっとも幸福な時代ではなかったか。  しかし、そうした黄金時代も長くは続かない。1964年にはシュターツオーパーの音楽監督を辞任し、すでにスカラ座もフィルハーモニー管弦楽団やウィーン交響楽団のポストも手放していたカラヤンにとって、残された最後の砦は、ベルリン・フィルの終身常任指揮者だけだった。  カラヤンは、生まれ故郷のザルツブルグの祝祭大劇場が夏の音楽祭の時期を除けば空いていることに着目、オーケストラ・ピットに世界最高のオーケストラ=ベルリン・フィルを入れて、自らの理想とするオペラ上演を実現すべく復活祭音楽祭を創設する。ワーグナーの《指環》四部作を皮切りに《フィデリオ》トリスタン》といった運命のオペラを続々と上演、その後満を持して、《オテロ》をとり上げた。  やがてウィーン国立歌劇場と関係を修復すると、ザルツブルグの舞台にウィーン・フィルを招聘、自ら指揮を執り重要な作品を上演していくようになる。  そして1978年にヴェルディの作品中もっとも人気の高い《アイーダ》の再録音を敢行する。Decca盤に比べると些か軽量化したとはいえ70年代のベストメンバーを揃え、そして何よりカラヤンの卓越したリーダーシップが隅々までいきわたったオーケストラと合唱団の名演奏がここに刻印されることとなった。旧録音も勿論素晴らしいが、新盤の圧倒的な迫力と緻密な設計に基づく精妙な表現の前には、もはや霞んで聴こえるから驚きだ。あのDecca盤以上の演奏が実現可能だったなんて信じ難いことだが、EMI盤ではそれが達成されている。    アバドもムーティーも素晴らしいが、カラヤンの新盤の完成度の高い演奏と比較すると、やや未成熟といった感がする。もちろん若いムーティーの迸る激情や、アバドの規律正しい正攻法の演奏を推薦するに吝かではないが、このオペラの壮大さに匹敵する偉大な演奏ということになると、この盤に止めを刺すことになろう。  

    jasmine さん

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  • 舞台を現代に移し替えて、より残酷さが克明になってい...

    投稿日:2023/11/02

    舞台を現代に移し替えて、より残酷さが克明になっている。歌手、オケ、演出共に綻びがなく、逃げ場もない。椿姫よりも堕落した女という原題の方がしっくりくる。また見たいかというとそうではないが、僕が知る限りの椿姫の中では最高だと思う。

    franti_from_tokyo さん

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  • NHKーBS放送で観たFrontaliが弱いと思う。Kowaljowは...

    投稿日:2023/11/01

    NHKーBS放送で観たFrontaliが弱いと思う。Kowaljowは中々健闘。

    AR さん

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  •  カラヤンは同曲のセッションを映像も含めると4回組...

    投稿日:2023/10/30

     カラヤンは同曲のセッションを映像も含めると4回組んだが、その中で最高の演奏はこのベルリン・フィルとのDGG盤であろう。  ソリスト達の歌唱も素晴らしい。ソプラノのフレーニによればこの曲は運命の曲ということだが、本人がそう断言するだけのことはある理想的な歌が聴ける。ルートヴィヒも流石だ、スカラ座と映像収録した際のコッソットも見事だったが、それに勝るとも劣らない模範的な演奏といっていいだろう。  カルロ・コッスッタはその後どうしたのか分からないが、ここでの活力に満ちた歌唱には驚かされた。ウィーン・フィルとの新盤のカレーラスも優れているが、この当時のコッスッタはそれ以上ではないか。  ギャウロフもこの頃が最盛期ではなかったか。《ボリス・ゴドノフ》も《ドン・ジョヴァンニ》もギャウロフ抜きには上演は出来なかったというくらい、カラヤンにとって必要不可欠なバリトンだった。  そして、何よりオーケストラの奏でる響きに圧倒される。カラヤンはこの頃「私とベルリン・フィルは、いま最高の状態にある」と豪語していたが、まさにそのことを裏付けるかのような完璧な演奏が展開されている。  カラヤンは1930年代から幾度となくこの曲を採り上げてきた。79年の来日公演でも、ソリストも合唱団も引き連れてやって来て壮絶な演奏を披露していった。それはそれで忘れ難いものであったとはいえ、72年盤の完成度の高さは格別だ。アバドもムーティもこの曲を得意とし何種類も録音を遺したが、それぞれの価値を認めつつも(実際、どれをとっても間違いのない名演奏には違いないが)、どれかひとつと問われたならば、私は躊躇なく、このカラヤンの72年盤を推す。敢えて次点はどれかというならば、アバド/スカラ座盤か?  

    jasmine さん

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  • この録音は、カラヤンが計画していたザルツブルク音楽...

    投稿日:2023/07/28

    この録音は、カラヤンが計画していたザルツブルク音楽祭での上演の直前に死去したことで、あたかも「死の直前の体調の悪い時に、録音した演奏」であるかのように思われているように思う。 その思い込みが、ややゆったりとしたテンポ設定にも裏書されて、「集中力の衰えた弛緩した演奏」のような思い込みを誘っているように思う。 この録音を聴く場合、オーケストラの残響がはっきりと聴きとれるように音量を上げることがポイントだ。こうして聴けば、仮に、カラヤンがテンポを速くとったならば、響きが混濁してしまい、混乱した演奏になってしまったであろうことが分かる。 この録音の欠点は、歌手とオーケストラの録音のバランスが悪いところだ。歌手はオン・マイクで録音しているので、歌手に合わせて聴くとオーケストラの豊かな残響が聴こえないので、ゆったりとしたテンポが持たなくなってしまうのだ。 この点に注意をして聴けば、カラヤンはオーケストラの音色の美しさと響きの豊かさを大切にしつつ、このゆったりとしたテンポを基調としながらも、深い劇性を盛り込むことに成功していることが分かる。 このため、豊かな響き、大きく持続するよく歌うオーケストラ、深い劇性を備えた稀有な名演が記録されている。 歌手については、ドミンゴの歌唱が立派であると言える。70年代のムーティ、80年代のアバド、そして90年代のカラヤンと、それぞれの録音を残している。アバドとの録音は彼の調子が悪いので、別人かと思うほど。それに比べると、この録音は、あまりに立派過ぎる歌唱ぶりである。 その結果、アンサンブルが成立していない。この立派過ぎる歌唱に他の歌手が対等に絡めれば、さぞ素晴らしかっただろう。それは、1つには、このテンポでは、息をセーブしなくてはならなかったからでもあろう。彼だけが、しっかりとしたカンタービレを維持しており、カラヤンの意図を忠実に再現していた。さすがと思う。

    slave さん

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  • ジョン・バルビローリ指揮、ニュー・フィルハーモニア...

    投稿日:2023/07/19

    ジョン・バルビローリ指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団によるヴェルディの『レクイエム』です。 これはバルビローリの最晩年、1969年から1970年にかけて録音されたもの。 このレクイエムは、バルビローリらしいユニークな演奏で、全体的にゆったりとしたテンポや、美しい音色と個性的な演奏を聴かせてくれます。 まさにバルビローリの集大成的な演奏。 名盤が多いレクイエムの中では真っ先におすすめとは言いませんが、これはこれで良いでしょう。 録音はちょっと悪いでしょうか。

    レインボー さん

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  • ドイツのレーベル、ピルツは買い付けた音源を正規の演...

    投稿日:2023/07/05

    ドイツのレーベル、ピルツは買い付けた音源を正規の演奏者はもちろん、架空の演奏者をクレジットして売り出した事で知られ、後にそれらの音源は様々なレーベルに流れて行くが、本家ピルツからウィーン・マスターズ・シリーズとして発売された2枚組がこのCDでヴェルディのオペラからハイライトを収録したもの。 1枚目はアレキサンダー・フォン・ピタミック指揮、ニュルンベルク交響楽団演奏、歌手はベラ・ヤスパー、ヴィレム・フェアルカーク、ルドルフ・クノール、エルンスト・ヴィーマン、ウテ・ヘルベルト。 声楽陣には著名指揮者の録音にも参加した人物がいるが、指揮者が変名。 実際の指揮者はハンス・ザノテリあたりだろうか、演奏は当たり外れはない感じで、作品を知るには十分。 だが、このCDの売りは2枚目の『オテロ』である。 これはイシュトヴァン・ケルテスが、アウグスブルク歌劇場管弦楽団(本CDではアウグスブルク市管弦楽団と表記)を振った珍しいもので、これ以外では復刻されてないと思う。 歌手の記載はないが、演奏は意外と立派でこの辺りは流石ケルテスと言った所。 尚、余白には3つのオペラからのオーケストラ曲が収録されており、これもケルテスとアウグスブルクの演奏と表記されているが、少なくともアイーダ凱旋行進曲は、カール・アウグスト・ブンテ指揮、ベルリン交響楽団の演奏と同一。 ただ、このブンテのアイーダもなかなかドイツ的な渋さのある良い演奏なのだが。 録音年代不明だが、少なくとも1960年代頃だと思われDDD表記は違うだろう。 椿姫は年代相応、オテロはまぁ良い方、他は普通と言った音質。 CDは特殊仕様の2枚組で破損すると替えがない(但し通常の2枚組で代用は可能)

    レインボー さん

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ありがとうございました

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