ムージル著作集 第1巻

ローベルト・ムージル

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784879841247
ISBN 10 : 4879841242
フォーマット
出版社
発行年月
1992年05月
日本
共著・訳者・掲載人物など
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追加情報
:
20cm,331p

ユーザーレビュー

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読書メーターレビュー

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  • ケイ さん

    特性のない…という意味が理解しようとしても理解し難い。訳の問題か、観点の相違か。女好きで、数学好きで、これも特性かと思うのだが。野心がないという事なら、なんとなく理解できる。さて、テーマは、しかし、特性のあるなしでは今のところはない。第一次大戦前のオーストリア。横のプロシアを妬み、傾いていく祖国オーストラリアをなんとしても盛り上げようとする皇帝側の貴族たちと特性のない男との関係が出来上がった。そして獄中の精神鑑定が必要なサイコ殺人者モースブルッガーへのウルリヒの関心。話は、どう展開してくのか気になる。

  • syaori さん

    貴族の法律顧問を務める父を持つ若き数学者、ボクシングもして思慮に富む。主人公ウルリヒの特性はこんなところ。しかし彼は考える。自分にこんな特性が”ある”と見る社会が今の自分を作り上げたのではないか? そしてその特性も、善や悪、道徳さえも、習慣、立場、環境などの「従属変数」によって何と易々と変化することか。だから彼は「特性のない男」であることを望み、従属変数に左右されない”何か”を求める。それはどんなものなのか。彼の周りで巻き起こる大愛国運動で、真の、偉大な、絶対のものを巡って狂騒する人々を眺めながら次巻へ。

  • NAO さん

    「特性のない男」とは、外界から他人によって与えられる特性を拒否するということで、「いかなる現実にも満足せずあくまでも可能性を追求する男」という意味。さまざまな可能性を可能性として残したまま生きているウルリヒは、誰からも特徴もなく何もしていない人物として見られてしまい、彼の対極にあるワルターが何をやってもひとかどの人物とみなされるのと対照的だ。話の筋があることはあるが、どちらかというと、小説というより哲学書に近い。世紀の変わり目に当たるウィーンを舞台に、書かれた当時の世相と思想界を強く反映した作品。

  • かんやん さん

    現実感覚があれば可能性の感覚というものもあるはずだ。我が家が一番と考える無邪気な子供のように祖国を愛すべきではない。愛国者は、祖国が最良の国でないことを知っていなければならない。それどころか、神はこの世界を別な風に創造できたかもしれない(ライプニッツの充足原則に逆らって)。ウルリヒは少年の頃、そんな作文を書いて、大人の逆鱗にふれる。特性というものが、現実に人に充足感を与えるものならば、自分のことですら現実感を抱けない人間を「特性がない」と評することができる。ムージルほど鋭い知性の持ち主は、稀である。

  • フリウリ さん

    なかなか苦労して読みました。「河出世界文学体系76巻」の「特性のない男」だと、本書の第1巻でほぼ全体の4/5を読み終わったことになっているのだけど、どういうことでしょうか…「特性のない」とは、(当時の、しかし現代にも通じる)「社会」にとって有用とみなされるような、「特性」をもっていない、ということでしょうか…山は険しい。6

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ローベルト・ムージル

オーストリアの作家。1880年クラーゲンフルト生まれ。陸軍実科学校に学ぶが工学へ進路変更し、ブリュン工科大学に転学して技師の国家資格を取得。しかし哲学に志しベルリン大学で哲学博士号を取得。この間中篇『生徒テルレスの混乱』が好評を博し、作家を志す。第一時世界大戦に従軍し、戦後の混乱のなか生活のために劇

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