ヤスミンコ・ハリロビッチ

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ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992‐1995

ヤスミンコ・ハリロビッチ

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784797672695
ISBN 10 : 4797672692
フォーマット
発行年月
2015年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
285p;22

内容詳細

戦争はある日、突然やってきた―― サラエボの若者が語る「戦争のリアル」とは
《原題》Djetinjstvo u ratu Sarajevo 1992−1995

●あのときもう少し背が高かったら、今これを書いていないだろうな。わずかに開いたドアから飛んできた銃弾が、私の頭のすぐ上をかすっていったから。 セルマ(女)1976年生まれ
●戦争中に子どもでいるっていうのは、つまり、学校に好きな子がいて、その子が迫撃弾で殺されるってことだよ。 ヤセンコ(男)1977年生まれ
●子どもでいられる時間なんて戦争に抹殺された……姉を奪い、私に怪我を負わせた砲弾のおかげで、私は大人になった。 ミルラ(女)1988年生まれ

■サラエボ包囲戦を覚えていますか?
1992年から4年間にわたったサラエボ包囲戦は犠牲者の8割が一般市民であり、しかも、つい昨日までは仲良く暮らしていた隣人同士が銃を向けることになるという、衝撃的な戦争であった。

■「あなたにとっての戦争とは何でしたか」
その戦いが終結してから20年、かつては「戦時下の子どもたち」であった人々もいまや30代前後。戦場育ちのサラエボっ子に向かって著者ヤスミンコ・ハリロビッチ(彼もまた戦争が始まったときは5歳だった)が呼びかけて出来たのが本書である。SNSで「あなたの子ども時代の思い出(戦争体験)を160字以内で語ってください」と問いかけたところ、数千にもわたるメッセージが集まったのである。

■戦争の1000の記憶
本書はその多数のメッセージから選りすぐった1000の「思い出」が詰まっている。
そこには、両親や家族、あるいは友人を喪失した悲しみもあれば、飛んできた迫撃砲の破片を集めたり、戦争ごっこをして遊んだ思い出もあれば、NATOの援助物資を楽しみに待った記憶も綴られていて、「戦時下の子ども時代」のあり方がけっして一通りではないことが伝わってくる。

■作家・角田光代の情熱
本書の日本語版出版を誰よりも熱烈に希望したのが、小説家・角田光代だった。テレビ番組の取材(NHK BS「旅のチカラ」)でサラエボを訪れた角田は本書の著者ヤスミンコ・ハリロビッチと出会い、彼の情熱や本の内容に感動し、「これをどうしても日本の読者に伝えたい」と考えたのだった。

■千田善氏の全面協力
翻訳に当たっては、元サッカー日本代表のイビツァ・オシム監督(サラエボ出身)の通訳を務め、自身もユーゴ内戦の時期に同国にいた千田善が全面的に協力することとなった。本書の解説で、千田はユーゴ内戦は「民族神話」が産んだ「ヘイトの戦争」であることを明らかにし、これが「どこの国でも起こりうることなのだ」ということに警鐘を鳴らしている。

■オシム監督からの特別寄稿も
サラエボ出身で、自身の家族もまたサラエボ包囲戦に巻き込まれた(結果的にはみな無事)元サッカー日本代表監督のオシム氏は日本版序文において「この本を読むと、人生にとって大事なことは何か、また大事なものになりうるものは何か、決定的に大切なものは何か、その感覚が研ぎ澄まされてくるだろう」と熱く語っている。

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読書メーターレビュー

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  • ケイ さん

    1992-1995年に子供だった若者達の20年後の言葉。その一人だったハリロビッチの呼びかけで。訳は角田光代。子供というのはどこかに希望を抱いているのだと、最後のオシムの寄稿と比べて思った。『1992年冬、もう木がない。本を燃やすか…。本をおしまいまで読んで火にくべた。なんてことだろう。でも明日のパンを焼かなきゃいけなかった』『』親友が殺された場所に、小石を積み上げて記念碑を作り、番をした』『スナイパーから見えないようにするため、街のあちこちに張り巡らされたブルーシート。その下を学校に向かって走る恐怖』

  • あちゃくん さん

    90年代前半サラエボで起こった戦争について、当時子供だった現在20代半ばだった若者が呼びかけて、同世代の若者に子供時代に感じたことをショートメッセージで集めてまとめた本です。子どもたちのささやかな願いが奪われていくのが、多くの人の言葉から読み取れ、胸が痛いです。子どもたちにこういった思いをさせないためにどうすべきか、大人として考えねばと感じました。

  • 扉のこちら側 さん

    初読。2015年1231冊め。この戦禍の中を生き延び、作中へメッセージも寄せている友人から紹介された本。「国連からの配給が40年前のベトナム戦争の余りの乾パンの時があった」と聞いたことがあり、さすがにそれは間違いだろうと思っていたのだが、この本を読むと同じ証言をしている人がいる。彼らがピーナツバターとチョコレートに執着する理由もよくわかった。巻末にもある通り、これと同じ状況が今もシリアで起こっているんだ。

  • も さん

    「戦争中に子どもでいるってことは、子どもではいられないってこと!」「おぼえていること、「ママが死んだよ」とパパが言った夜。そして、「きみのパパが死んだよ」という言葉。戦争の馬鹿野郎」1992年から4年にわたるサラエボ包囲戦。当時の子どもたちから集めたメッセージが詰まっています。戦時中であっても、人々の暮らしはそこにあるっていうことをものすごく感じました。

  • キキハル さん

    サラエボのことを何も知らないのだと自覚した読書となった。戦争中に子ども時代を過ごした人たちからSNSに寄せられたメッセージ。その短い言葉に込められた様々な想い。否応なしに大人にならなければならなかった悔しさ悲しさ辛さが溢れている。それでも避難生活の中でわずかな楽しみを見つけ遊ぶ姿に胸が詰まる。戦争はいけない。そんなの当たり前のことだ。その「当たり前のこと」が変化していく時代や思想や世界を憂う。

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