マックス・ヴェーバー

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職業としての政治 岩波文庫

マックス・ヴェーバー

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784003420973
ISBN 10 : 4003420977
フォーマット
出版社
発行年月
1980年03月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
脇圭平 ,  
追加情報
:
15cm,121p

内容詳細

あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • パトラッシュ さん

    政治家に失望し政治に無関心な人の何と多いことか。ヴェーバー流に言えば政治家になるべきでない人が、すなわち国家とは暴力装置の独占体であるのを理解せず、権力の分け前にあずかることしか興味がなく、世間で愚かで卑俗なのは他人のせいと主張する者が政治を動かすようになったと感じた人ほどそうだろう。民主主義は政治を一般人にも開放したが、それは政治家としての資質や覚悟を持たないを政治の世界に招き入れることになった。本当の意味で民主主義を実現したいならば、政治への天職を持つ人間を選ぶ責任があるのだとヴェーバーは問うている。

  • Y2K☮ さん

    かつて裕福な名望家が政治を副業でこなしていた時代があった。だが今の政治家は高収入や名声、権力に群がる俗物ばかり。或いは責任と無縁なホラ吹き浪漫チスト。国を守る使命感も覚悟も持たない彼らが求めるのは選挙の票のみ。政策も発言も全てそこに集約される。でも彼らは頻繁に勝つ。騙される国民の問題=普通選挙の弊害。虚栄心無き候補者? そんな人間はいない。暴力装置無き平和があり得ぬ様に。政治は倫理ではないのだ。求むるは公の精神を持ちつつ清濁併せ呑む気概に溢れる異形の者。ちまちまと税金をチョロまかす小悪党はお呼びじゃない。

  • 糜竺(びじく) さん

    正直、難しい文体で、読解するのに苦労しましたが、読み応えのある本だったと思います。例えば、「政治とは、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である事。政治を行う者は、権力を追求せざるをえない事。政治の手段が暴力であり、権力が一切の政治行為の原動力である以上、信念・理想だけではすまされない事。指導者のよき動機もしばしばその仲間・部下の余りに人間的な動機によって裏切られるというのが、政治の現実である事」などなど、深い内容の事が数多く記されていました。難しかったですが勉強になりました。

  • ビイーン さん

    「官吏として倫理的にきわめて優れた人間は、政治家に向かない人間、とくに政治的な意味で無責任な人間であり、この政治的無責任という意味では、道徳的に劣った政治家である」中略、これが「官僚政治」と呼ばれているものである」日本は、こういう政治家多いよなあ。

  • 絹恵 さん

    (『君主論』/マキャヴェッリと比較)秩序の維持という名目で、現存する支配関係を維持する為、知性を握るマキャヴェリズム。個人の倫理観は集団の価値基準に従属しているからこそ、強い引力(=カリスマ性)が無ければ、それは"あらかじめ裏切られた革命"だとみなされる。国家のサクリファイスが知性なら、振り上げた拳と振りかざした主張に正義を宿すのは、情熱のなかの理性だろう。(劇場版PSYCHO-PASSもとい雑賀先生と槙島先生)

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マックス・ヴェーバー

1864‐1920。ドイツ、エルフルトに生れる。ハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律学を専攻し、歴史、経済学、哲学に対する造詣をも深める。1892年ベルリン大学でローマ法、ドイツ法、商法の教授資格を得、同年同大学講師、1893年同助教授、1894年フライブルク大学経済学教授、189

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