晩年は腎臓病、リウマチに苦しんだ。1948年、ミゲル・アレマン大統領から「芸術科学国家賞」を音楽家として初めて受賞したが、間もなくメキシコシティで尿毒症により死去した。翌1949年、メキシコ国立芸術院のホールが "Sala Manuel M. Ponce" と命名された。メキシコシティのPante?n Civil de Doloresに埋葬されている。
ポンセはこんにち、ヤッシャ・ハイフェッツの編曲で有名になった歌曲《小さな星(エストレリータ) Estrellita》の作者として有名である(詞も彼自身による)。しかし、新古典主義様式で、ヴァイオリン協奏曲やギター協奏曲《南の協奏曲 Concierto del Sur》(1941年)などの大作も残した。初期のピアノ協奏曲は、シューマンを思わせる叙情性と情熱的な表現によって、ロマン派音楽の伝統で作曲されている。この他にも、舞曲、変奏曲やフーガなどのピアノ曲を多数残している。