ベートーヴェン(1770-1827)

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CD 輸入盤

【中古:盤質B】 Sym.4, 5: Klemperer / Bavarian.rso

ベートーヴェン(1770-1827)

中古情報

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B
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基本情報

ジャンル
カタログNo
5668652
レーベル
Emi
Europe
フォーマット
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)

ベートーヴェン:交響曲第4番&5番
クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団

1969年5月29日の演奏会を収録したもので、両曲ともに有名なスタジオ盤を大幅に上回る、録音史に残る素晴らしい内容となっています。
まず第4交響曲。クレンペラーのこの曲の録音は他に、フィルハーモニア管(1957/EMI)、フィルハーモニア管(1960/MUSIC&ARTS)、ベルリン・フィル(1966/ARKADIA)の3種があり、どれも大変立派な演奏なのですが、一番の聴きものはやはり今度のバイエルン盤でしょう。
 目立った特徴としては、まずテンポの遅さが挙げられますが、時間数値の大きい小さいといった問題よりは、なぜそのようなテンポが選ばれたか考える方が重要です。音楽の進行が遅くなると、当然のことながら作品の隅々まで見通せる眺望条件が確保されることになり、構成諸要素それぞれに対する細かなケアや、性格表現が、白日の下に晒されることになるからです。
 つまり指揮者の作品解釈が、より露骨な形で顕在化するというこで、ここに聴かれる演奏は、そうした事象の見事な証左としてまずは第1級の仕上がりをみせるものと言って間違いありません。
 第1楽章序奏部では驚くほど自然で存在感のある掛け合いが行われており、この箇所が、序あるいは導入部に過ぎないといったアプローチでは、決して聴かれることのない美感の表明が最高です。主部も基本的には同様の傾向を示すもので、アレグロ・ヴィヴァーチェとしての動感より、この作品の特徴でもある構成動機の数の多さに徹底対応した細部描出が主眼となっているのがポイント。
 実際、次から次へと繰り出される諸動機を、これだけ味わい深く演奏した例は稀であり、内在エネルギーの巨大さを漠として印象づけるスケールの大きな音楽が圧巻です。
 第2楽章も、冒頭から肩の力の抜けた美しいフレージングに魅了されますが、各動機の受け渡しなどクレンペラーならではの明解かつ強靭なリズム処理に支えられた立体表現も見事。ディテールの美感も驚異的であり、つまらない演奏で聴くと退屈きわまりないこの楽章が、深い美を湛えた音楽として表現されるさまは何とも不思議な光景と言えるでしょう。
 続く第3楽章では、通常の元気で素朴、快活な演奏とは一線を画すテクスチュア重視の分析的構造表出がユニークそのものです。トリオに於ける室内楽的な動機処理の効果が、作品のイメージを包括的に底上げする説得力を感じさせ、雄大な主部と対等な発言力を獲得。本来の意味でのコントラスト形成に大いに奏功しています。
 おしまいの第4楽章は、第8交響曲終楽章のひな型ともいうべき無窮動的性格の音楽ですが、ここでもクレンペラーは、速度感よりも各動機の徹底した描出に重きを置いて、40分を超える大交響曲にふさわしい重量感と、作品のイメージを引き上げる風格を付与することに成功しています。地に足のしっかりとついた、手ごたえ確かな締めくくり方と言え、正しいとか正しくないといったどうでもいい話はさておき、昨今のハイドン風な軽快さとは正反対のアプローチが示されているのが興味深いところです。
次いで第5交響曲ですが、この曲の録音には、他にロサンジェルス・フィル(1934/ARCHIPHON)、ウィーン響(1951/VOX)、フィルハーモニア管(1955/EMI)、フィルハーモニア管(1959/EMI)、フィルハーモニア管(1960/MUSIC&ARTS)、ベルリン・フィル(1966/ARKADIA)、ウィーン・フィル(1968/DG)の計7種のCDが存在し、それらはすべて、第1楽章と第4楽章の呈示部反復が実行されているのが特徴です。
 今回のバイエルン盤では反復が省略されているため、その点が大きな違いとなっているのですが、ほかの条件はほぼ同じであり、第1楽章展開部での謎のディミヌエンド処理や、再現部での原譜通りのファゴットの使用など、すべての演奏で徹底されており、違いは結局テンポと反復の有無だけということになります。
 ちなみに、前述の4番は、この5番と同じ夜に演奏されていますが、なぜか反復はすべて実行されています。
原因は色々と考えられますが、第5の場合、ブーレーズやギュルケらの解決策にもみられるように、第3楽章のいびつな構造がまず目立つわけで、要は、色々な方法論もその歪みを受け入れるか、補正するかということに帰結しているのですが、晩年のクレンペラーが選んだ方策は、反復を省略することによって、この交響曲の構造的な特異性をさらに前面に打ち出してゆこうというものではなかったのでしょうか。
また、第4と第5の大きな相違点として両端楽章の終結部の規模の差という問題が挙げられます。いちおう、古典的な造形美を敷衍していると考えられる第4のそれに対し、第5では、かつてない規模で豊富な楽想が投入されており、雄弁術としてのフォルムの形成は誰の目にもあきらかです。
 これを、“ソナタ形式=三部形式"という範疇で捉えれば、確かに反復実行パターンの方が理にかなっており、反復省略パターンでは、“逸脱要素"である終結部が、いやでも目につくことになるわけです。
 つまり、第4では、作品の古典的フォルムを拡張して印象づけ、第5ではロマン的性格を、フォルムの面から印象づけるという手法が採択されているということで、そのあたり、アゴーギクやフレージング、デュナーミクの変質といった手法に依存しない冷徹な表現者、クレンペラーの面目躍如といったところでもあります。
実際、この5番の演奏は素晴らしいものです。全曲を通じて、楽曲構成因子のそれぞれにゆとりを持ってアプローチした、いかにも余裕十分といった風情の冷静さが独自の世界を築きあげており、表面上の熱気を消し去った情報量の極端に多い音楽が、巨大なスケールでまとめられてゆくさまは、もはや凄いとしか形容ができない次元に達しています。
 これはある意味で、非常にラディカルな演奏であり、一般通念的なアプローチ、例えばカラヤンのものなどと較べてみればその差は歴然です。
ちなみに、この4番と5番と同じ日には、《コリオラン》序曲も演奏されているので、内容の素晴らしさからもぜひ正規盤としてCD化して欲しいものです。

総合評価

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クレンペラーのバイエルン放送との録音では...

投稿日:2021/03/13 (土)

クレンペラーのバイエルン放送との録音では、「復活」と「運命」、「第四番」が優れている。「復活」は最近再発売されたが、本CDは廃盤のままである。演奏は双方ともクレンペラーのベストといえる演奏である。是非SACD化して再発売してほしい。

LFA さん | 千葉県 | 不明

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おそろしく強靱で巨大,肺腑を抉るようなベ...

投稿日:2005/02/05 (土)

おそろしく強靱で巨大,肺腑を抉るようなベートーヴェン。聴き進むうちに,緊張のあまり体がこわばってくるほどです。特に第4番は,日頃のイメージとはまるで違う,抽象的で難渋な音楽。例えばワルター&コロムビア響やクライバー&バイエルン国立管と聴き比べれば,その違いは歴然。第5は曲想のせいか,もう少し聴きやすい印象。とはいえ,この緊張感の持続は尋常じゃないです。一晩で『コリオラン』序曲と第4番,第5番を聴いた当夜の聴衆は,おそらく激しく消耗したことでしょう。

Portia さん | 東京都 | 不明

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悠揚としてスケールの大きな演奏といえる。...

投稿日:2003/07/20 (日)

悠揚としてスケールの大きな演奏といえる。けっして万人向けとは言いがたいが、そこはかとなく巨匠としての風格が漂うベートーヴェンである。

KURO さん | 福岡 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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