ベートーヴェン(1770-1827)

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【中古:盤質A】 交響曲第9番『合唱』 ケーゲル&ライプツィヒ放送交響楽団

ベートーヴェン(1770-1827)

中古情報

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A
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基本情報

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カタログNo
SSS0066
レーベル
Europe
フォーマット
CD
その他
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輸入盤

商品説明

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ケーゲル/ベートーヴェン:交響曲第9番

ケーゲル最晩年、1987年の「第九」。1980年代にドレスデン・フィルに転じたケーゲルですが、度々ライプツィヒ放送響にも復帰し共演しております。第4楽章のお祭り騒ぎに共感できぬとか、演奏会ではペンデレツキ、ノーノ、シェーンベルクなどシリアスな作品と組み合せるなど、「第九」についてネガティヴな言動、行動が多いケーゲルですが、当盤では夏の音楽祭シーズンのガラ・コンサートという枠組みのせいなのか、熱気溢れる正に祝祭的な盛り上がり、緊迫感を見せております。燃えやすいドイツ人、ケーゲルの面目躍如の名演。しかも、それが実に様になっております(足踏みも凄い)。元来が合唱指揮者だっただけに合唱の厚みある響きはケーゲルの怖い視線を感じさせる見事さです。(東武トレーディング)

許光俊の言いたい放題 より
「あなたはこの第9を許せるか?」


 ベートーヴェンの第9は、この曲が大好きな人、聴くと感動する人、いつの間にか感情移入して拳を握りしめてしまう人は要注意である。「さあ、ここで盛り上がるぞ」といった箇所で肩すかしを食らわされ、逆に思いがけぬ場所で「えっ」と驚かされる。第9には数え切れないほどCDがあるが、もっとも個性的な演奏であることは間違いない。ケーゲルのベートーヴェンとしては、あまりにも異常な第5、第6の日本ライヴが発売されているが、あれと同じくらい突き抜けてしまっている。
 第1、2楽章はモノマニアックなリズムと音型のしつこい組み合わせ。ベートーヴェンがミニマル音楽みたいに聞こえてくる。ケーゲルならではの20世紀的解釈だ。
 第3楽章は一転、寂しげ、はかなげな情緒の世界。密度は非常に高く、ついつい堪能しながら聴いてしまうが、油断ならない。後半になると途端にやる気がなくなったみたいに脱力してしまうのだ。何だこれは・・・。
 その秘密はフィナーレに隠されていたのである。開始早々、例の「喜びの歌」のメロディが出てくるまで、普通ならこれでもかと劇的な展開が続くが、なんとケーゲルはその当たり、ほとんど思い入れがないのだ。完全に白けた雰囲気。しかし、それにしてもここまでやるか・・・。
 「喜びの歌」の旋律も、そっけなく登場する。そうか、全部そっけなくやっちゃうのかと思うと、違うのだ。主題が楽器を替えて繰り返されるごとにどんどん表情が軟らかく豊かになってくる。美しさを増す。まるで最初は白黒で表示されたものが、だんだん総天然色になってくるというぐあい。レガートはカラヤンみたいだ。うーん、これはすごい。
 そして最大の衝撃は合唱。なんと、普通みたいに「さあ、みんな!」、ドカーンと力強くいかないのである。バッハの受難曲みたいに荘重だ。特にトルコ風行進曲のあと、「抱き合え」からは、完全に宗教音楽のような厳粛で神秘的な空気が流れ出してびっくりさせられる。そう、愚かな人間たちが和解し、抱き合うという歌詞のところをケーゲルは全曲のピークと考えているのだ。なるほど、鋭い!
 これほどまでに真剣に第9を考え抜いた演奏もたぶん珍しいだろう。その結果生まれてきたものは非常にユニークなものになった。あちこちで耳慣れぬ解釈に遭遇する。私も何度もCDプレーヤーを止めて確認してしまったほどだ。第9をもう筋書きのわかっているドラマのように思っている人には、許せないだろう。だが、この奇抜さは必然性あってのことだ。このような演奏に出会うことがクラシック音楽を聴き続ける理由でなくて何であろう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


【収録情報】
・ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱』
 ヴェンスラヴァ・フルバー=フライブルガー(S)
 ローズマリー・ラング(A)
 ディーター・シュヴァルトナー(T)
 ヘルマン・クリスチャン・ポルスター(Bs)
 ライプツィヒ放送交響楽団&合唱団
 ヘルベルト・ケーゲル(指揮)
 ライヴ録音:1987年7月31日、ライプツィヒ、ゲヴァントハウス(ステレオ)
 日本語解説付き

総合評価

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前半3楽章は、時折見かける、インテンポで...

投稿日:2012/12/29 (土)

前半3楽章は、時折見かける、インテンポで休止符をいじくったアプローチである。前任指揮者のアーベントロートに類似している。そして、合唱指揮者の面目躍如たる処を存分に聴かせる4楽章に突入する。この指揮者は、人声を「言語と喉の生理活動」の合作として理解し、合唱4パートをいかに分離し、かつ掛け合わせれば、共鳴するのかを実演をもって教えてくれる。パート間の強弱、発音、起点から終点への移行の全てが、大きな合唱隊の存在感を構成していく。幾千の劇場型凡演に辟易している聴き手には、たしかに個性的な解釈ととらえられるだろうが、これを聴いて、ミニマル音楽だ、バッハの受難曲だ、などとは全く思わない。合唱の各パートがオケの1楽器となって繊細に共鳴しているだけである。また、およそ30年前にハウシルトが率いて来日し、ドイツレクイエムをやったのを聴いているが、指揮者の無為無策に比し、比較的少人数であったこの合唱団の表現力の余りの高さには、大いに感動したものであった。合唱に丁寧にテコ入れして、第9をやればこう鳴るのだ、という、ケーゲルの遺構である。

森林浴 さん | 京都府 | 不明

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これはケーゲルの心境などという先入観なし...

投稿日:2012/06/23 (土)

これはケーゲルの心境などという先入観なしでお聴きすることをお勧めします。このこんもりした様な重量感あるやや暗い音は、まさにライプツィヒ放送響の音です。この演奏の数年前の、ハウシルト指揮、第九の日本公演(NHK招聘)を彷彿とさせてくれます。当時中学生の私はこれが、本場 ドイツ(東ドイツ)の渋い第九・・と感動した思い出があります。ハウシルト指揮で、他に荘厳ミサ、ブラームスのレクイエム 3曲を携えて日本各地で公演したのですが、接した聴衆たちも思い出すのでしょうか・・(奇しくもケーゲルがその3曲とも、その後CDとして残しています。)さてこのケーゲルの第九 1982年にドレスデンフィルと全集を出してますが、解釈はその演奏とほぼ同じ。1〜3楽章はドイツ伝統的の枠をはみだしてません。(ライナーノートはオーバーですね)4楽章は、コントラバスの歓喜の主題演奏後の116小節、ヴィオラ チェロ コントラバスでの歓喜の主題に2本のファゴットを使うあたりのもスイトナー同様温かいですが、合唱もさすが本場ドイツ語で綺麗です。ケーゲルは日本フィルの年末第九の時も、ドレスデンフィルの録音も、合唱を祈りの曲として演奏してました。こういう第九も、もちろん「あり!!」でしょう。

アッキ さん | 茨城県 | 不明

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この絶演を他の何に喩えるのだろう?「許せ...

投稿日:2012/03/03 (土)

この絶演を他の何に喩えるのだろう?「許せるか」どうかの話ではない。 Kegelが遣わされた何者かであることを刻印した遺産である。斯様に純粋潔 癖な精神が、混濁の現代にあって生涯、安住の地を見出さなかった悲痛が胸 を衝く。彼は自分が悲痛だと思っただろうか?彼はどんな神を見たのだろう。この演奏はバッハのアリアとともに我々に伝えられたメッセージである。この魂にどのように応える術が我々に遺されているのだろう。

ドレクスラー さん | 神奈川県 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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