ベートーヴェン(1770-1827)

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【中古:盤質A】 交響曲第7番、他 ケーゲル&シュターツカペレ・ドレスデン

ベートーヴェン(1770-1827)

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A
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基本情報

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SSS0058
レーベル
Europe
フォーマット
CD
その他
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輸入盤

商品説明

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 指揮者の中には、何もかも、徹底的に自分の思い通りにしなければ気が済まない人がいる。もちろんヘルベルト・ケーゲルは、そうした人間のひとりだった。このタイプは、いわゆる有名楽団とは往々にしてそりが合わない。優秀なオーケストラは、ウィーンだろうが、ベルリンだろうが、アムステルダムだろうが、プラハだろうが、自分の色を濃く持っているからだ。
 ケーゲルにとってもっとも大事なオーケストラは、本人も言っていたように、長年つきあったライプツィヒ放送交響楽団だった。その次は、晩年に率いたドレスデン・フィルだった。どちらの街にも、ゲヴァントハウス、シュターツカペレというすばらしいオーケストラがあったが、ケーゲルが指揮したのはそれらではなくて、強い個性を持たない、露骨に言ってしまえば、次点のオーケストラだった。そうなったのにはいろいろな理由があろうが、決してこの完全主義者にとって不幸なことではなかったはずである。彼らを相手にしてケーゲルは惜しげもなく練習に時間を費やし、あのとてつもなくシャープで、容赦のない自分の音楽を思う存分実現することができたのだから。

 その彼が珍しくもドレスデン・シュターツカペレを指揮したのがこの演奏である。シュターツカペレは、時として指揮者なんていらないのではないかとすら思わせるほどに、自発的なアンサンブルを得意とする楽団だ。ケーゲル流の、すべての音を自分の意志通りに鳴らしたいというやり方にとって、これはどうなのだろう。そう思いながら、私はベートーヴェンの交響曲第7番を聴き始めた。ウィーン・フィルが、たとえゲオルク・ショルティに指揮されたときであっても、時折艶めかしく歌ってしまったりするような、そんな種類の齟齬が起きるのではないだろうか?
 けれども、私の予想は外れた。ケーゲルの棒の下、シュターツカペレがいつもなら聴かせてくれるであろう粋な表情や、繊細な木管楽器の会話や、控えめなリズムの取り方はすっかり息をひそめているのだ。このオーケストラは、言ってみるなら貴婦人のようにエレガントな美しさを持っているのだが、ここでは円味や、色彩のうつろいや、控えめという美徳や、コケットリーの気配は微塵もなく、ひたすら直球勝負で押しまくる筋肉隆々の男性像へと姿を変えている。指揮者が指示していない抑揚や表情はほぼ完全に消え去り、ケーゲルが他の楽団と演奏しているような決然とした音楽が出現している。
 この徹底には驚くほかない。なるほど基調となる音色こそはドレスデンのそれらしい部分があるが、あとは壮年期のケーゲルならではの、四角い石だかコンクリートだか鉄だかを組み合わせたみたいな音楽なのだ。変なたとえかもしれないが、柔らかい人間の肌を持っていたオーケストラが、サイボーグになってしまったというくらいに、通常シュターツカペレが行っている演奏とは違っている。第1楽章序奏の後半あたりからの、まるで戦車軍団が爆走するような重量級の運動性など、小粋なシュターツカペレが普通見せるものではない。しかも、くっきりした音の動きによる構築性が重要なのはいつものケーゲルと同じだ。響きは重厚であっても、いささかも明晰性は失われていないのである。コントラバスの動きがこれくらい意識的に鮮明にされた演奏は少ない。第2楽章を聴くと、ケーゲルが、オペラを生業としているオーケストラなら自ずと行ってしまうであろう情感の表出を禁じ、あくまで冷静に音の動き自体で音楽を作ろうとしているのがよくわかる。
 フィナーレはリズムの打ち込みが激しく、もはや野蛮とは紙一重だ。いや、むしろ、この作品とは聖なる野蛮なのだ。ところどころの追い込みはカルロス・クライバーもびっくりの凄まじさだが、まったく危なげがなく、オーケストラの力量を見せつけられる。この力量だからこそ、立体感も出てくる。熱狂と精密が両立してしまっているところが、ケーゲルの恐ろしさなのだ。いやはや、自分流を通した指揮者もすごいが、それにつき合ってこれだけやってしまったオーケストラもすごい。この楽団にここまでしんどい労働をさせた指揮者は他にいないのではないか。

 ショスタコーヴィチのほうは、ベートーヴェンとは別の行き方だ。コントロールが効いた、抑制された演奏様式である。響きは暗色系に統一され、オーケストラはあくまでヴァイオリン独奏の背景として機能する。控えめで、あくまで雰囲気や暗示にとどまる。だが、これは曖昧を意味しない。細部はきわめて克明であり、常に緊張感に満ちていて、おざなりではない。すばらしい密度の伴奏だ。
 ようやくフィナーレになって、作曲者はオーケストラに活躍を許す。ここでの切れ味など、時としてソヴィエトの楽団のようだ。このオーケストラはあまりショスタコーヴィチを演奏した経験がないであろうに、不慣れな感じはしない。
 ともかく両曲とも、指揮者とオーケストラ、両方のすごさをいやというほど思い知らされる演奏である。両者による他の記録もぜひ発掘して欲しいものだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 



演奏時間は実測値
・ベートーヴェン:交響曲第7番[36:07]
 第1楽章 12:16
 第2楽章 08:53
 第3楽章 08:22
 第4楽章 06:36

 録音:1969年9月16-20日 ドレスデン、ルカ教会[ステレオ、スタジオ録音]

・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番[32:54]
 第1楽章 13:02
 第2楽章 11:14
 第3楽章 08:38
 録音:1969年10月10日 ドレスデン、文化宮殿[モノラル、ライヴ録音(拍手あり)]
 ヴィクトル・トレチャコフ(vn)
 シュターツカペレ・ドレスデン
 ヘルベルト・ケーゲル(指揮)

収録曲   

ベートーヴェン:交響曲第7番[36:07]<br>録音:1969年9月16-20日 ドレスデン、ルカ教会[ステレオ、スタジオ録音]

  • 01. 第1楽章 12:16
  • 02. 第2楽章 08:53
  • 03. 第3楽章 08:22
  • 04. 第4楽章 06:36

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番[32:54]<br>録音:1969年10月10日 ドレスデン、文化宮殿[モノラル、ライヴ録音(拍手あり)]

  • 05. 第1楽章 13:02
  • 06. 第2楽章 11:14
  • 07. 第3楽章 08:38

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ベト7は、なかなか重心が重く、第一楽章な...

投稿日:2007/05/02 (水)

ベト7は、なかなか重心が重く、第一楽章など、それが功を奏している。木管など、フレーズの息が長く、幾分ノンビブラート気味だが、全体に漂う緊張感はなかなかだ。解説文にはライヴと記してあるが、どうやらスタジオ録音である。音は聞きやすいステレオ。ショスタコのVn協奏曲はモノラルだが、クリアな録音で、鑑賞になんの問題もない。

七海耀 さん | さいたま市 | 不明

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ショスタコーヴィチのVn協2番がいい。ケー...

投稿日:2007/02/26 (月)

ショスタコーヴィチのVn協2番がいい。ケーゲルはリズムを浮き彫りにするのが巧みな人だ。Vn協2番はショスタコ晩年の練達した書法の機能美に貫かれている。独奏と伴奏が、リズムの対位法を組み上げる。ケーゲルは要点を理解し、見事な伴奏を聴かせてくれる。リズムの活発さがなんとも心地良い。トレチャコフもオイストラフよりキレがあってカッコイイ。モノラルなのが残念。ベト7は得意にしているだけあって最高。SKDという一見ズレたオケの選択が、芸風を際立たせていて絶妙だと思う。ティンパニに乗って、ダイレクトに音塊が飛んでくる。音質良好。

火へんに華 さん | 千葉 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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