ピンク・レディー

ピンク・レディー プロフィール

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永遠の。伝説の。歌謡史上最大の…スーパーアイドルデュオ、ピンク・レディー。 70年代という一時代を駆け抜けたこの「伝説」。懐かしいと思う方から衣装とフリは知っているだけ、という方もこの史上最大のデュオが歌謡界のあらゆる記録を塗り替えた軌跡を改めて振り返ってみよう。

ピンク・レディー
ミー[Mie] 1958年3月9日生まれ 本名:佃美鶴代(旧姓:根本)

ケイ[Kei] 1957年9月2日生まれ 本名:増田啓子

ピンク・レディー は中学3年以来の大親友であり、中学(転校後の末広中学から)・高校とも同じ学校に通った同級生が「スタ誕」からデビューした ミーケイの2人そのもの。 2001年でデビュ−満25周年、解散後20年となり、今再びピンク・レディー が盛り上がりを見せている。

中学の演劇部で出会った2人は(のちにこの出会いは神様が与えてくれたものとコメントしている)歌手になることをずっと夢見、ヤマハ音楽主催の「チャレンジ・オン・ステージ」というオーディションを受けて見事合格。 
そして1974年 5月デュオ「クッキー」を結成。 その年「スター誕生」を受け75年12月に本戦大会に合格、76年2月に決戦大会で見事に合格。
1975年 ビクターからペッパー警部でデビュー。 その後出す曲すべてS・O・Sカルメン’77渚のシンドバッドサウスポーUFOなど一位を独占。
1978年 日本テレビ音楽祭グランプリ、日本歌謡大賞、UFOで日 本レコード大賞、を受賞。ピンク・レディー は、三冠王をとり歌謡界に金字塔を建てる。
初映画主演「ピンク・レディー活動大写真」公開。
1978年 カメレオンアーミー発売
1979年には、アメリカに本格進出し、Kiss In The Darkを発表。全世界40数カ国 で発売。
1980年 9月引退を発表、多くのファンに惜しまれつつも81年3月31日後楽園球場にて解散。
そしてピンク・レディー は伝説になった。

「歌って踊れるだけで幸せで、無心に青春のすべてをかけていた私たち・・・」と言っていた彼女達。この言葉こそ、彼女達を動かしていた源だったのかもしれない。

ピンク・レディー の与えた歌謡史上、芸能史上、社会史上の影響は大きい。 現在でもなお熱いファンを持つピンク・レディーピンク・レディー 論といえば「振り付け」「衣装」「愛される曲」が最も多く語られる側面だろう。 しかしそれだけだったら、こんなにも多くの人から長く愛され続けることは不可能だ。 アイドルとしての彼女達の評価には、「単なるブ−ム」とするものから、「日本の歌謡史の一ペ−ジを飾る存在」 (By都倉俊一氏)とするものまで幅広い見解がなされているが、表層的に評価されていない魅力がそこにはにはある。 ピンク・レディー はすでにピンク・レディー という独自のジャンルとして存在し、ヴィジュアルや曲といったものから、その作り手、それからミーケイという人間を全て含めて初めてピンクレディーは成り立つのだ。

彼女達は実に健全でさわやかなお色気を日本中にばらまき、彗星のように登場。 ミニスカートもしくはホットパンツから惜しみなく出される長い生脚。しかしパンチラはなし!これが男子にウケないわけはなかった。さらに一流の作家陣による楽曲、2人の強い結束、品行方正な性格、純粋さは老若男女から人気を得、ただのお色気B級アイドルではない輝きを放った。ピンク・レディー というとミニスカ(orホットパンツ)というイメ−ジがすっかり定着してしまったが、彼女たちがスゴイのは、デビュ−時から一貫して(再結成時までも)ミニスカをはいてくれるということ、これはファンにとっては嬉しいかぎりだ。

記録でいうとデビューから4年間でミリオンセラーが連続10曲続き、キャラクター商品も40社数百点と、70年代最大のヒット商品とまで言われた彼女たち。 ピンク・レディー は“ボーイッシュな”ミーと、“女の子らしい”ケイという独自路線で、当時のアイドル人気だったキャンディーズとの差別化を図る。一流の作り手による企画とそれに応えられる資質を持った2人のコラボレーションが歌謡史上最大のス−パ−アイドルを生み出したのだ。

さて、デビュ−前の2人は、高校時代「クッキ−」という名前で、セミプロ的な活動をしていた。当時、 カラオケの宣伝や大会に出場したり、おそろいのミニやホットパンツで激しい振り付けも あったという。このデビュー前の4年間の活動はピンク・レディー の活動期間に匹敵する内容のものであり、2人の友情をさらに深めたのだろう。後のピンク・レディー の原型となったこの活動はなくてはならないものだったと言える。解散後なおも再結成できるということは、2人が中学の時から親友であることを抜きにしては考えられない。これは他のアイドルとは大きく違うところ。

当時、人気のあった山口百恵桜田淳子岩崎宏美そしてキャンディ−ズのほかに、有名、無名な多くのアイドルが多数活躍していた中、なぜ、ピンク・レディー阿久悠都倉俊一といった一流の作家陣がサポ−トし続けたこと。これはデビュー時の彼女たちについて「周囲(レコード会社)の期待度はCランク、だからこそ(作家陣が)自由にできた」という話がある。それにプラスしてミーとケイがひたむきに、一生懸命に歌い踊っていた姿があったこと。極限の睡眠時間だったにもかかわらず、ファンの前で笑顔を見せる彼女たち。そして歌への想い。この姿に心を打たれない人はいないはずだ。

もうひとつ、忙しかったピンク・レディー時代には、実はお金については事務所に口を出したことはなかったという。ミーはそこで「だってようやく見つけた生きる道だよ。」とコメント。こんな言葉が言えるような生き方が出来る人ってそうそういないのではないか?
中学以来の大親友から一時代を創ったアイドルデュオへ、そしてその伝説を終わらせることなく現在も活躍しているミーケイ。 「ピンク・レディ伝説」が他のタレント伝説と大きく違うところ、それは、現在の2人たちが「伝説の語り部」であることです。これにより「PL伝説」の「虚実取り混ぜて」的 性格は薄れていくのかも知れない。

再結成で話題沸騰の中、ベスト盤New Best One、US盤ピンク レディー イン Usa 、ライヴ盤We Are Sexy、そしてピンク レディー ベスト ヒット アルバムを続々とリリース。 今後も音楽・映画等、仲の良い2人の姿をステ−ジ・テレビで見ることができるのは、ファンとして最高に幸せなことかもしれない。

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