バッハ、C.P.E.(1714-1788)

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CD 輸入盤

鍵盤独奏曲全集第32集 ミクローシュ・シュパーニ(クラヴィコード)

バッハ、C.P.E.(1714-1788)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BIS2205
組み枚数
:
1
レーベル
:
Bis
:
Sweden
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


C.P.E.バッハ:鍵盤独奏曲全集第32集
ミクローシュ・シュパーニ(クラヴィコード)


C.P.E.バッハの鍵盤独奏曲全集第32弾は、第31弾に続き「専門家と愛好者のための6つのクラヴィーア・ソナタ第1集」、「専門家と愛好者のためのロンド付きクラヴィーア・ソナタ第2集」から収録されました。
 演奏はシリーズ当初から担当しているミクローシュ・シュパーニです。録音を開始した際、シュパーニは「全集を実現することは決して単純な課題ではなく、ことにそれが初期の作曲家の作品を含めばなおさらである。このシリーズで私たちは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの、鍵盤楽器独奏と伴奏アンサンブルのための、疑いない正統な作品のすべてをご紹介する。私たちの目標は、これらの作品演奏の可能性への全般の見通しを与えることなので、この録音は作品の現存する資料と正統的な演奏習慣の徹底した研究に基づいている。私たちはオリジナルの資料をもとに「正統性」である楽器を選択して演奏している。」と語っており、まさに正真正銘、本物の解釈のもと演奏されました。これら膨大な作品に対して時間をかけ、着実に録音活動をしてきたシュパーニにでしか表現することのできない解釈で演奏されております。(販売元情報)

【収録情報】
C.P.E.バッハ:鍵盤独奏曲全集 Vol.32


● ソナタ第1番ハ長調 Wq55-1 (H.244)
● ロンド第1番ハ長調 Wq.56-1 (H.260)
● ソナタ第4番イ長調 Wq55-4 (H.186)
● ロンド第2番ニ長調 Wq56-3 (H.261)
● ソナタ第6番ト長調 Wq55-6 (H.187)
● ロンド第3番イ短調 Wq56-5 (H.262)

 ミクローシュ・シュパーニ(クラヴィコード)

 録音時期:2015年7月
 録音場所:ベルギー、シント・トロイデン、キーゼル・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

【カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ】
1714年3月8日、バッハが28歳の時にその最初の妻であるマリア・バルバラとの間にヴァイマールで誕生。セカンド・ネームのフィリップは、父バッハの友人であったゲオルク・フィリップ・テレマンが付けたものでした。
 父バッハがライプツィヒのトーマス教会のカントールとなった翌年、カール・フィリップ・エマヌエルは、トーマス教会の付属学校に入学し、やがてライプツィヒ大学に進学、その後、フランクフルトの大学に移って法学の学位を取得するものの、司法の道には進まず音楽の世界に戻ることを決意、父バッハと親交のあった作曲家レオポルト・ヴァイスの推薦もあってプロイセン皇太子フリードリヒのルピーン宮廷にチェンバロ奏者として迎えられ、その後、1740年に皇太子がフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)として国王になると、ベルリンの宮廷楽団のメンバーに昇格、1746年には王室楽団員となり、以後、1768年まで同地で活躍、通算30年近い滞在から「ベルリンのバッハ」と呼ばれるようになります。
 その間、フリードリヒ大王が大変な音楽愛好家だったこともあり、コンサートが頻繁に開かれ、作品発表の機会にも恵まれたカール・フィリップ・エマヌエルは、交響曲や協奏曲、室内楽にチェンバロ曲、カンタータにマニフィカトなど多くのジャンルの作品を書き上げています。また、王室楽団員となった翌年の1747年には父バッハをフリードリヒ大王に引き合わせ、『音楽の捧げ物』作曲のきっかけを作ってもいました。
 しかしそのベルリンも七年戦争の影響で荒廃し、宮廷での音楽活動も以前のように活発なものではなくなってきたところに、恩師で名付け親のテレマンの死去によりハンブルク市の音楽監督が空席になったため、カール・フィリップ・エマヌエルは、その後任として当時のプロイセン最大の都市だった人口15万人ほどのベルリンから、半分ほどの人口のハンブルクへ移り住むことになります(ちなみに当時のロンドンは60万人、パリは70万人、江戸は100万人でした)。
 しかし自由都市のハンブルクでは、音楽家の活動も多岐に渡り、カール・フィリップ・エマヌエルは、教会のカントールや、コレギウム・ムジクムの指揮者、チェンバロ奏者として活躍する一方、楽譜の出版も積極的におこない、交響曲に協奏曲、室内楽曲、チェンバロ曲、オラトリオなどを作曲・出版し、ヨーロッパ中にその名を知られることとなります。結局、亡くなるまでの20年間をこの地で過ごしたカール・フィリップ・エマヌエルは、ハンブルクへの大きな功績から「ハンブルクのバッハ」とも呼ばれていました。
 その名声は父バッハを凌ぐもので、ハイドン、モーツァルトは自分の作品に、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽を取り入れ、さらにベートーヴェンやクレメンティも賛辞を惜しみませんでした。没後の影響としては、メンデルスゾーンが大作『エリヤ』に多くの素材を使用していたほか、ブラームスがその音楽を高く評価していたのが目立ちます。
 カール・フィリップ・エマヌエルの音楽は、父バッハに続いて、名付け親テレマンの影響を強く受けるようになり、師の作曲様式を受け継いでギャラント様式(ロココ様式)や多感様式を追究、疾風怒濤様式や古典派音楽の基礎を築くことになります。(HMV)

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