ジョルジュ・バタイユ

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マダム・エドワルダ/目玉の話 光文社古典新訳文庫

ジョルジュ・バタイユ

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784334751043
ISBN 10 : 4334751040
フォーマット
出版社
発行年月
2006年09月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
16cm,165p

内容詳細

「ある街角で、不安が私に襲いかかった。汚らしく、うっとりするような不安だ」極限のエロスの集約。戦慄に満ちた娼婦との一夜を描く短編「マダム・エドワルダ」に加え、目玉、玉子…球体への異様な嗜好を持つ少年少女のあからさまな変態行為を描いた「目玉の話」を収録。

【著者紹介】
ジョルジュ・バタイユ : 1897‐1962。フランスの思想家・作家。「死」と「エロス」をテーマに、広範な執筆活動を展開し、現代文学、現代思想に大きな足跡を残した。また、文化人類学の知見に基づいて、生産よりも「消費」を重視する独自の社会経済理論を築き、現代文明の進む方向を正確に予言した

中条省平 : 1954年生まれ。学習院大学教授。仏文学研究のほか、映画・文学・マンガ・ジャズ評論など、多方面で旺盛な活動を展開している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • takaichiro さん

    芸術、哲学、エロティシズム、グロテスクがまぜこぜになり前衛化するバタイユ。「目玉の話」は変態趣味がない私には殆ど何が書いてあるか表面的にうまく読み取れない。人間の奥底に眠る最も神に近い領域の表出を哲学的に表現する天才作家の力量に圧倒される。「エロティシズムとは、死に至るまでの生の称揚である」この定義をベースに描かれる彼の作品は、巷に溢れるかSM官能小説とは一線を画す。エロとは死を内在するもの。三島由紀夫や村上春樹の作品にも偶に顔をだすバタイユ。読書の旅を続けていれば、またどこかでお会いすることでしょう。

  • harass さん

    目玉の話のみ再読。現実で非常に滅入っていて、ここまで激烈でないと読んだ気になれなかった。文学の力、猛毒を実感。「二人でちょっとしたドライブに出かけた日のことを思いだします。私は車で、自転車に乗った若くてきれいな娘を轢いてしまい、娘の首は車のタイヤでほとんどちぎれてしまったのです。私とシモーヌは長いこと死んだ娘を眺めていました。ばらばらになった体は、吐き気を催しそうな肉と、優美な部分に分かれ、そこから恐怖と絶望が立ちのぼり、それは私とシモーヌが会うたびに感じる気持ちによく似ていました。」とんでもないポルノ。

  • ケイ さん

    『マダムエドワルダ』彼女だけが娼館の中で怪しく光り輝いているイメージが浮かぶ。凡庸だが、掃き溜めに鶴のよう。でも、哀しい狂った鶴で、主人公は彼女を選んだようで選ばれたことに興奮しているのだろうか。『目玉の話』少し前に読んだ生田耕作氏訳のものの方がしっくりくる気がする。前回は楕円の球体に取り憑かれたシモーヌや梅毒病みの父親の話との関連が印象的だったが、今回はシモーヌと主人公が本当に性交するために、なぜマルセルが必要だったのかに気を惹かれた。

  • Y さん

    登場人物の飽くることなきエロティシズムへの冒険心には、ここまでくると悪趣味だとしか思えなかったが、その反面どこまでいけるのだろうかと好奇心をくすぐられた。エロティシズムは快楽そのものを得ようとすること以上に、「こんなことをしたら相手がどんな顔をするのか知りたい」等の知的好奇心によって成り立つものでもあるのかなと思った。いやそれにしてもすごいものを見た…!という感想が真っ先に頭に浮かぶ小説である。

  • Mina さん

    「あたしは神なのよ…」欲望のまま 獣のように 男も女も極限のエロティシズムを求める。そしてエロティシズムは死に通じ神を見せる。生、逝、性、聖のバトルロイヤルを目の当たりにし、気分は血の滴るレアのステーキをお腹一杯食べたかのよう。あ、目玉焼きも添えて…。暫くおかわりはいいかな。

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