ジム・キャリー

ジム・キャリー プロフィール

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1962年1月17日生まれ。カナダ・オンタリオ出身。ジムは6人家族の末っ子で(姉2、兄1)人を笑わす事が上手かった父、そしてそんな父を見守る母と暮らしていた。子供の頃から人々を笑わせ、学校では人気者だったジム・キャリー。

ジムがお笑いに興味を持ち出したのは小学校2年の頃である。クラスでは毎日新しいギャグを考えては生徒を笑わせていた。中1の頃、先生に「もし、君が馬鹿みたいなジョークを授業中にやらないと誓ってくれれば、毎日15分だけお笑いの練習、そしてクラスの前でその演技をしても良い。」と言われ、先生との約束を果たし、毎日のようにお笑いパフォーマンスまでやっていたのです。しかし、中学3年で学校を中退。理由は父が働いていた会社が倒産してしまい、借金に追われていたからなのです。その頃一家は車の中や、モーテル(小さなホテル)の中で暮らしていた。毎日母が小さな工場で働く中、ジムと父はお笑いの特訓をし、その後トロントにある有名なコメディークラブYuk Yuk'sでスタンドアップ・コメディアンとして働いていた...19歳までカナダのコメディークラブで働いていたジム・キャリーだったのだが、有名人になる夢を果たす為ロスアンジェルスに行く事を決心し、荷物をまとめた。

ロスにある”Mitzi Shore's Comedy Store”で、 常連なスタンドアップコメディアンとなった ジム・キャリー。ある日Rodney Dangerfield(コメディアン)が、彼の才能を発見し、テレビ、映画、そしてツアーに出られる事となった。 彼のテレビデビューは1984年で公開された「The Duck Factory」そして映画は1984年の「Finder's Keepers」。俳優として働く様になったジム・キャリーだが、当時彼の存在を知る人はとても少なかった。ジム・キャリーの人気が出始めたキッカケは1990年、"20Th Century Fox"のお笑いテレビ番組「IN LIVING COLOR」が公開されてからです。黒人のコメディアンの中、ジム一人だけ白人であったせいなのか、彼のパフォーマンスは大ウケだった。その後、初主演映画『エース・ベンチュラ』の主人公となり彼の人気は世界的に爆発したのです。

同年『MASK』、『Mr.ダマー』と立て続けに大ヒットを飛ばし、『バットマン・フォーエバー』ではユニークな敵役リドラーを演じた。96年の『ケーブル・ガイ』はあまり評判はよくなかったが翌年の『ライアー・ライアー』でコメディ路線に戻り、またまた大ヒット。初のシリアスドラマ主演作『トゥルーマン・ショー』では、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門主演男優賞にトム・ハンクスらとともにノミネートされ堂々の受賞となった。99年には『マン・オン・ザ・ムーン』が公開され、2年連続でゴールデングローブ賞受賞の快挙。この作品でジムは、エドワード・ノートン、ニコラス・ケイジ、ケビン・スペイシーなど手ごわい相手といっしょにオーディションを受け、合格し役を勝ち取った。その後も『グリンチ』、『ふたりの男とひとりの女』、『マジェスティック』などに主演。

プライベートでは2度の離婚を経験し、1987年生まれの娘もいる最初の妻と93年に離婚後すぐに、『Mr.ダマー』で共演したローレン・ホリーと付き合いはじめ96年に結婚するが、翌年に別れてしまう。次に『ふたりの男とひとりの女』で共演したレニー・ゼルウィガーとの2000年クリスマス婚の噂がでるがそれも破局。

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