ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

交響曲全集 ルドルフ・バルシャイ&ケルン放送交響楽団(11CD)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL6324
組み枚数
:
11
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD

商品説明


ショスタコーヴィチ交響曲全集最大のベストセラー!
バルシャイ&ケルン放送交響楽団による快演


ショスタコーヴィチに作曲を師事し、のちには交響曲第14番『死者の歌』の初演をおこない、さらに弦楽四重奏曲の編曲などを通じてショスタコーヴィチと親交のあった名指揮者、ルドルフ・バルシャイが、ベルティーニとのマーラー演奏で名高いケルン放送響を指揮した交響曲全集。バルシャイのショスタコと言えば、熱気あふれる名演として有名な第7番『レニングラード』ライヴや、自身の編曲版による弦楽四重奏曲集、といったアルバムがこれまでリリースされていましたが(他にもありましたが現在は廃盤)、この交響曲全集はバルシャイの実力を真に知らしめるものとして非常に注目度の高いものです。

【高水準な各曲の演奏】
特に重要な作品と言われる第4番、第8番、第10番の出来栄えは素晴らしいものがあり、第4番両端楽章でのフーガ(フガート)の緊迫感と声部バランスの完璧さや、第8番の2つのスケルツォ楽章における哄笑の切れ味、第10番でのテクスチュアの克明さなど圧巻。ショスタコーヴィチの語法を知り尽くしたバルシャイならではの意味深いアプローチは聴きごたえ十分です。
 他の作品の出来栄えも優れたもので、迫力満点の標題交響曲としてマニアに人気の第11番『1905年』でも殺戮シーンの描写は圧倒的なものがありますし、同じく描写性の高い第12番『1917年』でも、弦楽の扱いが巧緻なぶん、構造面の魅力もよく伝わってきます。
 声楽つきの第2番、第3番、第13番、第14番ではそれぞれの異なるテーマにふさわしいスタンスが取られており、特に、バルシャイ自身が作品の初演者でもある第14番『死者の歌』については、室内編成オーケストラによる多彩をきわめた音響の面白さが印象的。その他、第13番『バビ・ヤール』でのフーガや、第3番『メーデー』での文字通り行進曲風な楽想の処理、第2番『10月革命に捧ぐ』での過激な音響表出も見事。
 第1番、第6番、第9番の3曲は、いずれも30分程度の規模の小さな作品ながら、聴きどころも多い充実した内容だけにファンも多い傑作。バルシャイのアプローチも機知に富み、機敏さを決して失わないところなどは作品にぴったりです。
 ショスタコーヴィチ最後の交響曲となった第15番では、ウィリアム・テルやマーラー、ワーグナーの引用などいつにも増してパロディ的な手法が多く使われるのですが、バルシャイの演奏は引用強調を主眼としないシリアスなものとなっています。

【バルシャイ・プロフィール】
ルドルフ・バルシャイは、1924年9月28日、ソ連のラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者。モスクワ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学びますが、在学中に弦楽四重奏の演奏に夢中になったバルシャイはヴィオラ奏者として音楽家活動を開始、ボロディン弦楽四重奏団とチャイコフスキー弦楽四重奏団の創設メンバーとなり、前者には1953年まで所属してヴィオラを担当。
 その間、1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほか、ソ連国内のコンクールでも優秀な成績を収めています。
 その後、バルシャイはレニングラード音楽院で、名教師イリヤ・ムーシンに指揮を学び、1955年、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者としての活動をスタート。このオーケストラとの活動は、バルシャイが亡命するまでの20年以上におよび、バロック音楽から現代作品に至るまで幅広いレパートリーを演奏・録音、鍛え抜かれ引き締まったアンサンブルで大いに声望を高めました。
 彼らは、ソ連作曲家作品の初演も多くおこなっており、中でもかつての師であったショスタコーヴィチの交響曲第14番初演は歴史に残る演奏としてよく知られています。
 バルシャイはまた、室内オーケストラのレパートリー拡大にも熱心で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を「室内交響曲」としてた編曲ヴァージョンは現在も人気のレパートリーとなっているほど。
 1977年に西側に亡命したバルシャイは世界各国のオーケストラを指揮して名を高め、1991年にはナチス・ドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ユンゲ・ドイチュ・フィルとモスクワ・フィルの合同オーケストラの指揮をして大熱演を展開(BIS)。
 2年後の1993年には、久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスを演奏しています。
 1994年からはケルン放送交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲全集録音に着手し、2000年に完成、翌年、ブリリアント・クラシックスから発売されると世界的に話題となり、交響曲としては異例のベストセラーとなりました。
 その後、自身の手によるマーラー10番の補筆完成版を録音したり、ショスタコーヴィチの室内交響曲集をミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と録音するなどして健在ぶりを示していたものの、2009年には病に倒れ、病床でもバッハの『フーガの技法』の編曲作業をおこなうなど音楽活動を継続、しかし2010年11月2日、ついに力尽きてしまいます。


【交響曲第1番】
交響曲第1番は、レニングラード音楽院作曲科の卒業制作曲であり、当時「現代のモーツァルト」とまで讃えられたという作品。ストラヴィンスキーやアルバン・ベルク、シェーンベルクの影響のほか、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスの引用もおこなわれ、全体は機知に富む仕上がりを見せています。


【交響曲第2番『十月革命に捧ぐ』】
ソ連政府による規制がまだおこなわれていなかった1927年に書かれた作品で、若きショスタコーヴィチの斬新なアイデアや前衛的な手法が盛り込まれた、演奏時間18分ほどの小規模な交響曲。長年に渡ってロマノフ朝に苦しめられてきた民衆と、その蜂起、勝利を描いたもので、合唱も交えながら最後にはレーニンを賛美して締めくくるという構成で、27声のフガートや無調部分、サイレン音など聴きどころの多い作品です。


【交響曲第3番『メーデー』】
ショスタコーヴィチ23歳のときの作品。第2番と同じく前衛的な雰囲気もありますが、曲の終わりには農村を賛美する合唱が付くという体制寄りの要素もあり、平和的な雰囲気を表現したと作曲家自身が述べています。緊張感の持続と、合唱を伴う最終部のはじけっぷりが印象的。


【交響曲第4番】
作曲者自身が「自分の書いた最高傑作、第8番よりももっと良い出来」と語るこの作品は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも特異な経緯を持ついわくつきの音楽。30歳の時に完成した画期的な交響曲であり、リハーサルの途中で作曲者みずから発表を中止。紆余曲折を経て、実に25年後の1961年、〈雪解け〉といわれる状況の中、コンドラシンの指揮でようやく初演が行なわれたというものです。
その後の成功予定作(?)の第5番と較べると、この第4番は余りにも斬新かつ凶暴であり、前年に当局に批判されたポポフの交響曲第1番や、自身の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の二の舞になることをショスタコーヴィチが恐れたのも無理からぬことだったのでしょう。
確かに、この問題作から感じられる異様なまでの激しさ、力強さ、残虐さは比類のないものであり、それらに戦争や圧政の影を結びつけて考えるのも自然なことかもしれませんし、また、並存する諧謔的な表現についても、複雑なアイロニーの発露と考えれば納得も行きます。
とはいえ、そうした時代背景への認識を抜きにしても、マーラーの2番や7番、1番、マイスタージンガーの引用(パロディ)を経た大音響地獄の果てに、最後は美しく静かなコーダに収斂されてゆくという重層的な構図は、交響曲好きにはたまらないところです。


【交響曲第5番】
ショスタコーヴィチの交響曲の中で最も人気のある作品。天候不順と農政失策が引き起こした大飢饉によるソ連国民の餓死者500万人以上ともいわれる1930年代、スターリン派の政治家が対抗勢力に暗殺されたことに激怒したスターリンが政治的な大粛清を開始、その犠牲者もほどなく数百万人規模に達し、第二次世界大戦前ながら、すでにソ連国内の社会不安は極点に達していました。
 この時期、ショスタコーヴィチは自信作ながら問題作でもある交響曲第4番をすでに完成させていましたが、最悪の場合の拒否反応を想定して初演をとりやめ、社会不安に打ち克とうとするかのような交響曲第5番を新たに作曲、社会主義リアリズム的な明解さをも表現して大成功を収めています。


【交響曲第6番】
1939年に書かれた交響曲第6番は、通常の交響曲スタイルでの第1楽章にあたる部分が無く、いきなりラルゴの緩徐楽章で開始され、その後、アレグロのスケルツォ→プレストのフィナーレと速度を上げて行きます。身近に迫った戦争への不安を描いたかのような緩徐楽章に続き、そうした不安を払拭するような楽しげなスケルツォと、やたらに快活でどこかカラ元気の気配もあるフィナーレが演奏される作品。


【交響曲第7番『レニングラード』】
第8番と並び迫力ある戦争交響曲として人気を博す第7番『レニングラード』はショスタコーヴィチの書いた交響曲の中では最も規模の大きな作品でもあります。レニングラードがドイツ軍に包囲されたのは1941年9月のことで、以後、1944年1月まで包囲戦は続き、67万人とも100万人以上とも言われる市民が飢餓や砲撃、爆撃によって犠牲になっています。ショスタコーヴィチは包囲戦開始の少し前に作曲を開始して約4カ月で完成、翌年、初演前に作品はスターリン賞1席を受賞し、続々と海外でも演奏されるようになり、1943年3月、ショスタコーヴィチはモスクワ音楽院教授に就任しています。防衛戦のなまなましい光景に強い印象を受けて作曲されただけに、当初は各楽章に「戦争」「回想」「祖国の大地」「勝利」という副題が付され、プロパガンダ交響曲の様相も呈していましたが、のちに副題は撤回されています。


【交響曲第8番】
かつて『スターリングラード交響曲』とも呼ばれていたこの作品は、戦争の酷さや悲しみ、虚無感を投影したものとして、壮大・激烈な音響にさえ独特のペシミズムやパロディ感覚、アフォリズムの精神が備わるという含みのある重層的な性格を持っているのが特徴。


【交響曲第9番】
1945年に書かれた第9番は、第7番、第8番と同じく戦争交響曲と呼ばれる作品ながらも、ずっとコンパクトでシニカルなイメージの強い音楽。戦勝記念を期待した当局に対する皮肉ともとられたこの第9番は、それゆえに強い批判に晒されショスタコーヴィチの立場を危ういものに追い込みました。


【交響曲第10番】
スターリンの死の直後に発表されたこの第10番は、第1楽章にリストの『ファウスト交響曲』、第2楽章にムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』、第3楽章にマーラーの『大地の歌』の引用を含む意味深な作品。第2楽章スケルツォの迫力あるけたたましい音楽によっても有名で、中間部に傍若無人な行進曲を含むその音楽はスターリンを描いたものとも言われています。


【交響曲第11番『1905年』】
1958年にレーニン賞を授与された標題音楽。ロシア革命前夜、「血の日曜日」と呼ばれる軍隊による民衆虐殺の場面でも知られる作品で、ショスタコーヴィチの描写力が冴え渡っています。


【交響曲第12番『1917年』】
1961年に完成した交響曲第12番は『1917年』というタイトルを持つ作品。共産党大会の祝賀行事の一環として初演されたこの『1917年』は、1917年10月のロシア革命とレーニンに関するものとされています。作曲当時のソ連は、フルシチョフ書記長のスターリン批判のもたらした「雪解け」ムードの中、領空侵犯してきたアメリカ軍のU2偵察機の撃墜&パイロットの裁判により、米ソ関係が緊張を迎えることになった時期でもあります。
交響曲第2番『十月革命に捧げる』と共通の素材も用いられるこの作品は、レーニンにより実現した、ロマノフ王朝の圧政に対する蜂起と革命理念を描いたもので、その後、レーニンの死により、スターリンに踏みにじられることとなった実際のソ連を考えれば皮肉な作品とも言えますが、楽曲中には革命歌の引用などもおこなわれており、革命当初の姿を歴史的視点から捉えるという意味合いでは、真実味の感じられる音楽でもあります。


【交響曲第13番『バビ・ヤール』】
ショスタコーヴィチの13番目の交響曲は、その歌詞内容を巡って初演当初から大きな反響をよんだ作品です。膨大な打楽器群を伴う大編成のオーケストラに男声合唱、バス独唱を要し、1時間にも及ぶこの問題作の焦点は、第1楽章のテキストであり、作品全体のタイトルともなっている詩「バビ・ヤ-ル(バービイ・ヤール)」にあります。
 エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・エフトゥシェンコ[1933-]の手になる詩「バービイ・ヤール」は、1961年9月19日に「文学新聞」紙上で発表されました。当時28歳、新進気鋭の若手詩人によるこの詩は、第2次大戦中、ナチス・ドイツによってキエフ郊外のこの地でおこなわれた周辺ユダヤ人の大虐殺(2日間で33,771人)を直接のテーマとしながら、ロシアで帝政時代から根深く続いていた、そして当時のソヴィエトにあっては事実上蔓延していたとされる、反ユダヤ主義の告発を主眼とする、いわば、ソヴィエトの恥部を暴くような内容だったのでした。
 このような詩が、公式筋からの猛烈な批判を浴びつつも熱狂的な支持を生んだ背景には当時のソヴィエト政府が「雪どけ」といわれる緩和政策のさなかにあったことが第1に挙げられます。スターリンの死後、「思想から経済へ」と踏み出し、西側諸国との平和共存をうたった共産党政権の転換は、ヴァン・クライバーンのチャイコフスキー・コンクール制覇や、オイストラフ、リヒテル、ギレリスらの渡米公演など、多くの文化的な功績も残しましたが、一方で、そうした自由な空気の流入は国内言論の緩和という形であらわれ、自由な論説を展開する「雪どけ派」といわれる知的言論人を生み出してもいたのでした。エフトゥシェンコは、そうした言論人の急先鋒でした。
 ショスタコーヴィチが、いつこの詩を自らの題材に選んだのかは明らかではありませんが、1955年にバービィ・ヤールを実際に訪れたことがあったという彼が、この若い詩人の作品に心を惹かれなかったはずもなく、詩が発表されて約半年後の1962年3月には、後に第1楽章となる『バービイ・ヤール』が完成、当初は合唱付きの交響詩として完結する考えだったようですが、持病の右手神経症治療で入院中(同年7月21日まで)に、エフトゥシェンコの詩集「両手をふりあげ」から素材を探し、最終的に全五楽章の大作へと発展したのでした。異なる素材を選び出し、有機的に関連付けていったショスタコーヴィチの文学的センスは、この頃にはショスタコーヴィチと親しくなっていたエフトゥシェンコ本人をも驚嘆させたそうですが、さらに驚かされるのは、第一楽章以外の四章がすべて入院中に完成されたことで、記録によると、最終楽章「出世」が完成したのは退院の前日、7月20日とされています。
 この年の秋、ショスタコーヴィチは友人数人を自宅に招き、その13番目の交響曲を披露しています。持病のため以前のようには達者とはいかなかったようですが、ショスタコーヴィチは声楽の主要な旋律を歌いながら全5楽章をピアノ演奏、それぞれの楽章の前にはエフトゥシェンコが詩を朗読したそうです。限られた招待客には、作曲家仲間のハチャトゥリアンとヴァインベルク、歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤ、そして、この作品の初演を担うこととなるキリル・コンドラシンの姿があったとされています。
 初演は1962年の12月18日、コンドラシン指揮のモスクワ・フィルその他によっておこなわれましたが、ただちに当局の非難にさらされます。国家のタブーに触れた詩作、それを用いて新作を書いた国際的にも著名な作曲家という取り合わせは、いかに「雪どけ」のソヴィエトにあっても見過ごされることはなかった、というべきでしょうか。この頃には「雪どけ」の行き過ぎた緩和政策を見直す気運が共産党政権内で次第に高まっており、同年10月に終結をみた“キューバ危機"を「アメリカに対する政治的敗北」とする意見の台頭もあり、自由な気風は急速に去りつつあったようです。初演当日のバス歌手のエスケイプや、当初、初演の指揮をレニングラードでおこなうはずだったエフゲニー・ムラヴィンスキーが不可解な理由から指揮を断った背景に、政治的な圧力をみる意見もあります。そしてそのことは、ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの長年にわたる友情に最終的な終結をもたらしたともいわれています。
 初演後、第13交響曲は共産党政権から歌詞の一部改定を指示され、1963年2月に改訂歌版で再演、その後1965年にも同じく改訂歌詞で演奏されますが、その後は長く封印されてしまいます。初のレコーディングは、初演、再演とも指揮を務めたコンドラシンによって1967年におこなわれますが、原典歌詞の復活を求めた関係者の努力もむなしく、改訂歌詞での録音となりました。ソ連におけるこの原典歌詞による録音の解禁は、1985年のロジェストヴェンスキー盤まで待たねばなりませんでした。ソヴィエト以外では、当然ながら、1970年1月のオーマンディ指揮によるソ連国外初演&初録音から一貫して原典歌詞が用いられています。


【交響曲第14番『死者の歌』】
弦楽合奏と打楽器群によって演奏されるこの交響曲第14番は、死にまつわる11のテキストに付曲した作品。グレゴリオ聖歌が引用されガルシア・ロルカの色彩豊かな光景を彷彿とさせる死者への祈りの詩を用いた第1楽章「深き淵より」から、コサックが「おまえの母ちゃんでべそ」的な悪口をスルタンにまくしたてる第8楽章のような音楽にいたるまで実に幅広い死のイメージを内包しており、ショスタコーヴィチが単なる静謐で美しい死のイメージといったようなものではなく、もっと複雑で現実的な痛みや苦み、恐れといったものまで表現しようとしていたことは明らかです。


【交響曲第15番】
ショスタコーヴィチ最後の交響曲で死の前年に書かれています。晩年のショスタコーヴィチは、勲章授与などさまざまな栄誉に浴し、なおかつ要職にも任ぜられるなど社会的には厚遇の中にありましたが、一方で右足の骨折や、二度の心筋梗塞などによる健康面での不安に苛まれてもいました。交響曲第15番では、ロッシーニ、ワーグナー、ハイドンの作品のほか、自作の交響曲第1番、第2番、第4番、第7番からの引用がおこなわれ、パロディ作品としての側面が強くなっている一方、第2楽章アダージョでは、晩年ならではの独特の暗い美しさを示しているのが印象的。(HMV)


【収録情報】
● 交響曲第1番ヘ短調 Op.10
 1994年9月&10月デジタル録音

● 交響曲第2番ロ長調 Op.14『10月革命』
 1995年1月デジタル録音

● 交響曲第3番変ホ長調 Op.20『メーデー』
 1994年9月&10月デジタル録音

● 交響曲第4番ハ短調 Op.43
 1996年4月&10月デジタル録音

● 交響曲第5番ニ短調 Op.47『革命』
 1995年7月3&8日、1996年4月デジタル録音

● 交響曲第6番ロ短調 Op.54
 1995年10月デジタル録音

● 交響曲第7番ハ長調 Op.60『レニングラード』
 1992年9月デジタル録音

● 交響曲第8番ハ短調 Op.65
 1994年3月、1995年10月デジタル録音

● 交響曲第9番変ホ長調 Op.70
 1995年7月&9月、1996年4月デジタル録音

● 交響曲第10番ホ短調 Op.93
 1996年10月デジタル録音

● 交響曲第11番ト短調 Op.103『1905年』
 1999年5月デジタル録音

● 交響曲第12番ニ短調 Op.112『1917年』
 1995年9月デジタル録音

● 交響曲第13番変ロ短調 Op.113『バービー・ヤール』
 2000年9月デジタル録音

● 交響曲第14番ト短調 Op.135『死者の歌』
 1999&2000年デジタル録音

● 交響曲第15番変ホ短調 Op.144
 1998年6月デジタル録音

 セルゲイ・アレクサシキン(Bs)
 アラ・シモーニ(S)
 ヴラディーミル・ヴァネエフ(Bs)
 モスクワ合唱アカデミー
 ケルン放送合唱団
 ケルン放送交響楽団
 ルドルフ・バルシャイ(指揮)

 録音場所:ケルン、フィルハーモニー

総合評価

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全ての曲でベストというわけではないが、全...

投稿日:2017/12/21 (木)

全ての曲でベストというわけではないが、全部の交響曲でこれだけハイレベルの粒ぞろいの演奏という全集は他にない。最初出た頃ほど圧倒的な安さではないが今でも廉価盤ではあるし、録音もいいし文句なし。全集はこれを買って物足りない曲だけ他を探せばいいと思う。

風とライオン さん | ZIMBABWE | 不明

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大変モダンないい演奏だった。声部バランス...

投稿日:2017/09/29 (金)

大変モダンないい演奏だった。声部バランス、音力の調節がみごとで、曲の構造が明瞭である。第5番など他の演奏であるとロマン的な音楽に聞こえるが、ずいぶんモダンな音楽に聞こえる。10番11番などフォルテシモを適度な音量で聞くとPPの部分がほとんど聞こえない演奏がおおいが、この演奏はそうしたことがない。録音も音場の広がり、分離、明晰さがあっていいろくおんだと思う。

プリン さん | 奈良県 | 不明

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最高水準の演奏ばかりではなく、ばらつきは...

投稿日:2017/06/18 (日)

最高水準の演奏ばかりではなく、ばらつきはあるものの、15曲の全集として廉価であることが魅力。前世紀であれば2〜3万円ぐらい必要だったのでは。

テリーヌ さん | Hyogo | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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