シュポア(1784-1859)
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シュポア(1784-1859) レビュー一覧

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商品ユーザーレビュー

22件
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  • 19世紀初頭〜中庸期を生きたドイツの器楽曲の多作家ル...

    投稿日:2021/11/08

    19世紀初頭〜中庸期を生きたドイツの器楽曲の多作家ルイ・シュポーアだったが、どちらかと言えば、彼以前のハイドンやモーツァルトら先鞭者・パイオニアの様式への模倣や接近を見せている作品が多々ある中で、この交響曲第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉の2作は、発表初演当時は斬新で型破りな音楽として、かなり聴衆を惹き付け魅了した様だが、21世紀今現在に聴くと、あまり新鮮な音楽には響かない、保守的な作りと内容・質感で、明快な聴きやすいメロディとによって、古典的な響きの音楽を創出・追及していると言う評価にしか留まらない価値を認める。ハ短調の第3番は、ベートーベンの死の翌年、及び、シューベルトの没年に当たる1828年の作で、第1番変ホ長調の1811年、第2番ニ短調の1820年に続く初期作品に属する成立年を持っているが、ハ短調と言う調整の意味合いが持つ悲愴感は、さほど顕著でなく、終楽章のアレグロなどは、ベートーベンのハ短調の第5交響曲のそれと同じ様に、冒頭からハ長調へと転じ、力強い響きを放ち、勇ましい推進力でもち展開する王者の様な性格を見せているが、ベートーベン以後の多くのシンフォニストの中では、軽い扱いに留まる域を出ない点を感ずる。1797〜98年頃に、ベートーベンがウィーンで書いたピアノソナタ第8番ハ短調〈悲愴〉作品13に似たスタイルを維持している特徴や構成感を呈し見せており、冒頭の第1楽章のアレグロ主部への推移前には、重厚壮麗なグラーヴェ導入部を置くなど、相互の作曲上の影響関係の強さが指摘できる。1808年にベートーベンが書いた周知の有名過ぎる第5交響曲ハ短調〈運命〉を意識している創作態度は明らかで、第3楽章スケルツオのティンパニの連打に始まる不穏な雰囲気なども、楽聖の性格を受け継いだ要素が強く前面に押し出されている。単にベートーベン風な模倣としか、後世の作曲家たちが評価しなかった理由が、こうした部分に見い出されるのだろうと窺える。当時の典型的なウィーン古典派の伝統的ソナタ形式を踏襲し、楽聖ベートーベンの和声書法からの大きな逸脱・離脱を図る次元には、まだ及んでいない。生前に強く偶像崇拝したモーツァルトのウィーン時代後期の伝統スタイルと影響を自作に取り入れ昇華しつつも、何か新しい響きや性格を帯びている様な時宜的な創作性は影を潜めている様にも感ずる。こうした模倣は、ベートーベンやシューベルトの没後以降に、多数の作曲家が絶えず試み模索した亜流スタイルの域に過ぎないものだ。かと言って、聴くに値しない凡作と言う評価が与えられるのも不当性がある。伝統的な様式や響きに準拠した作風ながらも、後のブラームス、さらには、ブルックナー、マーラーらの全く異質で巨大な交響曲の世界概念路線と比較するのも落ちが残る。シュポーアは、自作の10ある交響曲の中に、声楽や合唱を導入することこそ全く試み無かったが、純オーケストラ作品のジャンル/ガットゥンクでは、ほとんどが、地味で鳴りの悪い作品が多く残るが、これらを個性的な出来の秀作と見なすのには少し魅力さに欠ける抵抗感もあるかと思う。だが、決して枯渇されるべき内容の作品ではなく、19世紀前半当時、あのメンデルスゾーンやヴァーグナーらが、自ら指揮したコンサートで、この第3番ハ短調を得意気に取り上げて、その解釈を競ったらしい逸話も伝わっている。同じ理屈は、第6番ト長調〈歴史的〉にも共通しているだろう。作曲者自身以前の時代を生きた天才らと、最新の時代の要素を、1作の交響曲の内容と構成で混ぜ合わせ融合させると言う発想自体はユニークな目新しい意義があろうが、基本的には、保守的な響きと作りである点は、他の諸作品らと何らの特徴的なニュアンスや差違は見られない。取り立てるほどの目ぼしい特徴は、第4番ヘ長調〈音の奉献〉でやって見せた、音と詩との文学的関連性の試みとは打って変わり、より古くさい趣味に目映りする傾向の内容作品に落ち着き、意欲旺盛さはややも後退している。バッハやヘンデルを模倣した第1楽章では、バッハの〈平均率クラヴィーア曲集〉や、ヘンデルのオラトリオ〈メサイア〉からの断片的な引用が、第2楽章では、ハイドンの1790年代の12曲ある〈ロンドン・セット〉や、やはりモーツァルトの晩年期の交響曲第38番〈プラーハ〉や第39番変ホ長調あたりの緩徐楽章の響きの余韻を思わさずにはおけない。第3楽章スケルツオの効果的なティンパニの使用は、ベートーベンを限りなく意識したものだろうし、第4楽章アレグロの「最新の時代」では、シュポーアと同時代を生きたフランスのダニエル・フランソワ・エスプリ・オーベールの歌劇〈ポルティチのおし娘、マサニエッロ〉の序曲の動機などからの劇的なパロディ的引用が見え隠れしてもいる。かの大家ローベルト・シューマンは、この第6番について、「全楽章があたかもシュポーアの音楽の様に聴こえてくる」と揶揄し評した様に、あまり当時の慎重な立場をとる作曲家や評論家らの意表をひく内容物には感じ取られなかった様である。だが、大衆的には成功した部類の作に入ったのであろう。こうした点にも、既に当時、にわかに台頭しつつあったリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇的な革新的響きや文学的要素はほとんど散見されなかった様でもある。つまらない内容の佳作と言ってしまえば、それまでだが、シュポーアらしい軽い特徴的な響きは、相変わらず表面上の各所に出て鳴っている点は、申すに及ばない。第6番ト長調〈歴史的〉は、1840年頃に成立した作品だが、同じ様に、過去のバロックや古典派時代の作品を蘇らせようと画策した作曲家は他にも存在した事実を忘れてはなるまい。1829年には、かのメンデルスゾーンが大バッハの〈マダイ受難曲〉を、プロシア王国の都ベルリンで復活上演して話題を呼んで見せ、大バッハ音楽への傾倒と関心を一般市民に啓蒙普及させる様に尽力したし、もっと後の19世紀後半には、ブラームスが彼の最後の第4交響曲の終楽章で、大バッハの、あるカンタータから着想・インスパイアされたとされるバロック時代の変奏曲形式のシャコンヌ(パッサカリアとも)を導入して古い時代への回帰と愛着・オマージュを払うことになるわけだ。ところで、この第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉のカップリングによった2作は、マルコポーロ盤以外にも、ハイぺリオンやCPOなどを含む幾つかの他競合レーベルより、近年、デジタルで新レコーディングされたディスクが次々発売になってきているが、オーケストラの重厚な響きを、なによりも優先的に買う人であれば、このマルコポーロ盤が、なかんずくの推しなのではなかろうか。録音は、1991年11月に、東欧スロバキアの町コシチェの芸術家の家でステレオ収録されたものの様だが、今聴いても、古めかしい野暮な印象は無く、幽霊演奏の様に、聴くに絶えない不自然さも見られない。当盤を含むマルコポーロ出自のシュポーア交響曲全集は、ここ最近になり、Naxosに移行販売されたが、音質がステレオからデジタルにリマスターされたと言う話は聞いていない。近年のリバイバル・ブームの時流の需要性から、単に移行廉価販売されただけなのであろう。近年では、ベートーベンやシューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームス、マーラーらの傑作ばかりが顧みられ、盛んに演奏消費される傾向は、19世紀でも続く20世紀にあっても、基本的にほとんど変わらぬ傾向を見せているが、それはともかく、聴きやすいシュポーアの交響曲で何を取るか、と考えるのならば、第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉が異論無く第一に推挙できる。弦楽器の分厚いサウンドの威圧感に加え、それに装飾的な表情を与える管楽器セクションの響きも、調和一体し、迫力ある管弦楽の醍醐味を楽しむことができるに違いない。重厚な曲想の交響曲を重厚な演奏で、と望む向きの愛好家や通には支持される内容の録音盤だと言えるハズだ。ただ、オーケストラ全体のまとまりや、その力強い扱いや鳴りの良さに比べて、もう少し、弦や管の細部の響きの各表情が室内楽の様に緻密さが強調されても不自然さは残らなかっただろう点で、星評価はマイナス1を減点し差し引いた4としてみたまでにある。何はともあれ、見付けたら購入一聴し、他盤の音源との比較を楽しむのも興味尽きなく一興の余地があるだろう。

    松浦博道 さん

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  • 学生時代、銀座のヤマハで売り出されたばかりのライス...

    投稿日:2021/10/12

    学生時代、銀座のヤマハで売り出されたばかりのライスターのシュポア全集を見つけて財布をカラっぽにして買った思い出があります。以来四十年近く、他の奏者がCDを出したら買おうと思いながら、メイエはモーツアルトを聴いて音の軽さが好きでなかったので買わず、もうエーラー式の楽器であんな曲芸をできる人は現れないのかなとあきらめていました。  ごく最近、オッテンザマーが90年代に録音をしていたのを初めて知ってすぐ買いましたが、存命中はテレビやコンサートで優雅なソロを吹いてるところしか見たことがなかったので、やはりライスターよりゆるいかなと思っていましたが、が!!です。 これはすごい! あの「神様」といわれたライスターとまったく引けをとることはありません。オケもライスターのほどには知名度はないみたいですが立派なものです。  それどころか!! すごすぎて、途中でぶったまげて楽譜を引っ張り出してきて確かめて、思わず「やったあ!!」といい年をして叫んでしまいました。  この曲をチェックされるような方には想像つくかもですが、「神様でも敬遠したのかな」と想像していた部分をオッテンザマーは軽くこなしていました。  それにしてもこれほどの商品がなぜ最近までリサーチに引っかからなかったのか不思議です。

    TOCHIPAPA さん |50代

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  • 生涯に9曲の交響曲、15曲のヴァイオリン協奏曲など...

    投稿日:2021/07/25

    生涯に9曲の交響曲、15曲のヴァイオリン協奏曲など数多くの曲を書いたシュボア。弦楽四重奏曲は36曲もある。私は一時期シュボアにはまり、MARCO POLOで弦楽四重奏曲を1枚、また1枚と買っていたら36曲全部揃ってしまった。36曲全てについてレビューを書くのは野暮なのでこのディスクに限ることにする。第19番は第1ヴァイオリンのソロに弦楽伴奏がついたヴァイオリン四重奏曲とでもいうべき作品で、文字通り華麗なメロディーにあふれている。この曲、コンサートでやれば映えること間違いない。私はどちらかという第22番ののように短調の、静かな雰囲気の曲の方が好きだが、それは聴く人の好みによるだろう。しかし、これらの弦楽四重奏曲をコンサートで聴いたことがない(シュボアは複弦楽四重奏曲を「珍しい編成の曲」という感じで一度聞いただけ)。なぜだろう、不思議だ。シュボアはもっと評価されていい作曲家だ。

    禅済 さん

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  • タイトルにある「歴史的」というのは、この作品が「過...

    投稿日:2021/03/22

    タイトルにある「歴史的」というのは、この作品が「過去」から「現代(もちろんシュポアが生きていた時代)」までの代表的な音楽のスタイルを各楽章でなぞっている事に由来するからである。 第一楽章は対位法を駆使したバッハ、ヘンデルの時代 第二楽章のアンダンテはハイドン、モーツァルトの時代 第三楽章はベートーヴェン風のスケルツォ そしてフィナーレに当時流行していたグランド・オペラの序曲風の曲を置いている事からもわかる様に、シュポアは、この曲で音楽の歴史を振り返るふりをしながら、交響的作品より娯楽作品の方が受ける現代の風潮を皮肉っぽく表現していると言える(特に第三楽章のティンパニの扱い方はシュポア自身ベートーヴェンの交響曲第7番以降の初演に参加していたと記録が残っているようにベートーヴェンの作品に精通しており見事に模倣している)。 なお、私は、マルコポーロレーベル時代に発売された同一内容のCDを所有しており、レビューもそれに基づくものである。

    吉川英治 さん

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  • シュポアは初期ロマン派の作曲家で、当時のスター・ヴ...

    投稿日:2021/03/18

    シュポアは初期ロマン派の作曲家で、当時のスター・ヴァイオリニストでもあった。 1784年生まれだから、ヴェバーの2つ歳上で、パガニーニの2つ歳下。 ベートーヴェンからは14歳下となるが、交流があり、ベートーヴェン の「交響曲第7番」の初演に参加したという。 ちなみにシューベルトからはひと回り上となる。 しかしこれと言った有名作は無いので、ぶっちゃけ今ではマイナーな存在だ。 そのシュポアにして複数の録音がある珍しいオペラが「ファウスト」である。 こちらの録音は、クラウス・アルプ指揮、南西ドイツ放送カイザースラウテルン管による1993年のもの。 キャストは ボイエ・スコーフス(ファウスト/バリトン) フランツ・ハヴラタ(メフィストフェレス/バス) ロバート・スウェンセン(ヒューゴー伯爵/テノール) ヒレヴィ・マッティンペルト(クニグンデ/ソプラノ) もう始まった瞬間から心を奪われる。 グノーの「ファウスト」の様なキラーチューンは無いものの、終始耳に心地良い音楽が続く。 どうしてもっと有名でないのかと思うが、実際、20世紀初頭までは人気のレパートリーだったそうだ。 ちなみにシュポアの「ファウスト」はファウスト博士の伝説に基いたもので、ゲーテ作とは無関係だという。

    妻三郎 さん

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  •  モダン楽器での演奏。初めて聴く四重奏団だが過不足...

    投稿日:2021/02/26

     モダン楽器での演奏。初めて聴く四重奏団だが過不足なく、シュポアの魅力を伝えてくれていると思う。

    雑食系依存症の男 さん

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  •  バイオリン協奏曲とバイオリン、ハープの協奏曲は十...

    投稿日:2018/02/26

     バイオリン協奏曲とバイオリン、ハープの協奏曲は十分楽しめるいい曲だ。 特にハープが活躍する協奏曲はいいものがないのでこの楽器が好きな方に勧められます。

    プリン さん

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  • 今日シュポーアという作曲家の作品の認知度は演奏会で...

    投稿日:2016/04/29

    今日シュポーアという作曲家の作品の認知度は演奏会で実演で聴く機会にはほとんど恵まれてはいないが、幸いにも海外の主要なレーベルでその作品の多くが体系的に録音され、手軽にCDプレイヤーで再生できることは嬉しい話だが、実はそんな彼も生前にベートーヴェンも顔負けといった感があるくらいの素晴らしいグレイト・シンフォニストであったことはクラシック通以外にはほとんど知られていないのが現状という所に留まっており、21世紀今日では余りその生前ほどに及ぶ評価は定着していないというのが事の実際でもある。交響曲も10曲も書いており、オーケストラの入念で気の利いた扱いや処理もかなりの実力あるシンフォニストであったかを裏付けさせる興味深いものとなっている。当盤冒頭の<バビロンの陥落>序曲の、作曲者らしい不穏な半音階的なクラリネットによる導入部で始まり、生気を帯びてアレグロに終止する音楽展開の妙もこの作曲家の陰の実力ぶりを知る上での今後のクラシック・コンサートでの恰好なコンサートピースになろうことも大いに期待できうるものがある。交響曲第3番も、ベートーヴェンの傑作である第5番<運命>からの意識的とも見て取れる調整選択と重厚な響きに覆われ、演奏効果も高い優れたナンバーであることの確かさは拝聴すれば耳に明らかに印象付けられ焼付くことだろう。1828年4月6日の復活祭(=イースター)に日曜日に、作曲者が宮廷楽長の座・ポストを得て間もない頃のカッセルの地で、作曲者自身の指揮で、レオの<ミゼレーレ>やベートーヴェン<第九>となど共にプログラム上で初演され大変に好評に終わったとされるいわくつき作品であると同時に作風様式の記念碑的到達点を作曲者にもたらした野心に満ちた力作・労作でもあった。その評価は初演以後19世紀の至る所でのコンサートで素早くスタンダード・ピースとして人気・演奏需要が定着化し、メンデルスゾーンやワーグナーも好んで自身のコンサートで当作をその解釈者として取り上げたと言われる、シュポーアの生前から大変に不動な人気ぶりを博した成功作であった様である。当盤の演奏も、壮大で重厚な表現力はやや後退してはいるが、その分、細部の目立たない響き・部分を強調視させ、柔軟で聴きやすい耳に心地よい室内楽的と呼んでも差し支えのない演奏ぶりを披露している創意工夫と姿勢ぶりが強く窺える。1839年頃に、ロンドンのフィルハーモニー協会からの委嘱で生れ出たとされる交響曲第6番の方も、第3番ほどではないにしろ、過去のバロック・古典派の巨匠たちの作品への賛美とオマージュというユニークで魅力溢れる作品に仕上がっており、4つの副題の付いた各楽章は、内容的にも構成的にも興味深く、そこに聴かれる和声表現およびそこから醸し出される響きの妙は、紛れもなく当時功なり名を遂げた作風の円熟の絶頂期・最盛期にあっただろうシュポーア自身の個性でありオリジナリティそのものの輝きであったと言えるものがあろう。第3番と第6番の組み合わせによる音源はかつてマルコポーロ盤があったくらいで、それと当盤を比較する時、耳に心地よく入り込んで柔軟性に富んだ音楽作りをしていると思わせられるのが当盤に聴かれる方であり、マルコポーロ盤の様な余りにも過度に強烈な印象の音楽演奏をしている様子は窺えないが、シュポーア音楽の特徴であるおおらかな和平さに満ちた古典的で、その生前の作曲上の偶像的模範であったとされるモーツァルトの音楽の持つ単純でいて質の高い音楽作りを意識的に行っている良い好例であると言えるものが認められる。生前にシュポーアの音楽は19世紀当時相当な影響力を持ち、後の世代の作曲家たちに絶大なる印象を誇ったと言われるが、作曲者自身の死と時代の変遷によってその音楽は次第に忘れ去られていったというのは実に21世紀現在の音楽史的観点からみると惜しい音楽的・文化的損失であったと言えなくもないが、そうした作曲家の例は、なにもシュポーア一人に限定されるものではなく、死後に急送に廃れて忘れられていったという例は時代を問わず、17世紀にも18世紀にも、そして19世紀にも無数に相当数存在したはずである。そんな中でも、シュポーアは当時最高のバイオリニストと評価され、名声・実力共にベートーヴェン以上であったことは確かな事実である様だ。21世紀現在、彼の作品表の中で機会的に演奏されるのは、ヴァイオリン協奏曲第8番<劇唱の形式で>や、いくつかの目立たない管楽器と弦楽器による室内楽作品程度のものであり、いまだもってこの作曲家の全ての姿・真価が高く評価されて頻繁に顧みられているとは言い切れず、それは今後の未来の演奏家たちや演奏事情の発展に期待するしかないものと言えるものがある。ある意味でシュポーアという作曲家は保守派の代表・重鎮でもあり、当時自作に半音階的な響きを取り入れて、当時の一般市民・音楽ファンを驚かせもしたというが、オペラにワーグナーに先立ってライト・モチーフを取り入れ、弦楽四重奏を2組編成にしたり、オーケストラを2重表現したり、自身が考案したと言われる「指揮棒」を使って指揮をしたりなどユニークな当時の誰もが気が付かなかった常に新しい試みを多少のリスクは覚悟で堂々と意識的にやってのけたという目覚ましい作曲家はシュポーア特有の、強い作曲家としての気鋭な前衛ぶりを誇ったユニークな発想を多く持っていた時代の寵児として今後もその作品の評価が高く顧みられる時代を迎えてほしいと、当盤に収録されたこの作曲家の意欲旺盛ぶりな力作・労作の存在から意味深長ですらある個性的なスピリチュアルメッセージを感じ取ったまでである。そうした意味でも、当盤はシュポーアの最も聴いて楽しい音楽所産ですらある第3番と第6番の交響曲を一枚にカップリングしてくれてあるので、コンパクトでいつでもどこでも手放さずに携帯して、時間があれば手軽に聴いて楽しみたいと思わさせられる重宝する演奏・質の両点で高評価できるベストな一枚であると言い切れるものがあろうと悟らされたのであった。今後とも、シュポ―アという多作家の、この素晴らしいシンフォニストとしての再評価が期待されてゆくことを願うのみである。

    松浦博道 さん

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  • ライスター、オッテンザマー、メイエ、コリンズ盤と比...

    投稿日:2014/12/19

    ライスター、オッテンザマー、メイエ、コリンズ盤と比較しても優秀な演奏、録音であると思う。新録音、低価格、入手し易さを総合して第一に推薦できる優秀作であると思う。

    一人の音楽好き さん |50代

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  • 普段あまり聴く機会のないシュポアのクラリネット協奏...

    投稿日:2013/01/07

    普段あまり聴く機会のないシュポアのクラリネット協奏曲をそれも全曲一気に聴ける絶好のCDである。輸入盤に比して割高だが解説書が充実しシュポアに関してよく理解できた。やはり普段聴く機会の少ない作曲家や作品の場合解説書は必須と思う。演奏もメイエがこの曲の良さを十分に引き出した名演である。録音もよく購入して大変満足しています。

    clajaztaro さん

    1

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ありがとうございました

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