サミュエル・ベケット

人物・団体ページへ

ゴドーを待ちながら 白水uブックス

サミュエル・ベケット

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784560071830
ISBN 10 : 4560071837
フォーマット
出版社
発行年月
2013年06月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
227p;18

内容詳細

田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者・ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている──。不条理演劇の代名詞にして最高傑作、待望のペーパーバック化!


現代演劇の神髄!
田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは……暴君ポッツォと、その召使いラッキー、そして伝言をたずさえた男の子。
〈『ゴドー』に接して、人はむしょうにおしゃべりになりたがっている自分を見出す。[…]無数の解釈が生まれ、すれちがい、ゆらめき、消尽されてゆく、その過程がまさにこの作品を観たり読んだりする経験の実体にちがいないのだ。[…]「ゴドーを待つ」という、あるようなないような枠組(大いなる物語)は、過去と未来のあいだに宙吊りにされたこの現在あるいは現代の瞬間を生き生きとさせるための仕掛けにすぎないのかもしれない。〉(本書「解題」より)


本書は、「不条理演劇」の代名詞にして最高傑作として名高い、ノーベル文学賞作家ベケットを代表する傑作戯曲。これぞまさに現代演劇&海外文学の神髄、待望のペーパーバック化!


[目次]
ゴドーを待ちながら
注/解題


[原題]EN ATTENDANT GODOT


サミュエル・ベケット Samuel Beckett 1906-89
アイルランド出身の劇作家・小説家。1927年、ダブリンのトリニティ・カレッジを主席で卒業。28年にパリ高等師範学校に英語講師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。うつ病治療のためロンドンの精神病院に通うが、37年の終わりにパリに移住し、マルセル・デュシャンと出会う。ナチス占領下には、英国特殊作戦執行部の一員としてレジスタンス運動に参加。『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』の小説三部作を手がけるかたわら、52年には『ゴドーを待ちながら』を刊行(53年に初演)。ヌーヴォー・ロマンの先駆者、アンチ・テアトルの旗手として活躍し、69年にノーベル文学賞を受賞。ポストモダンな孤独とブラックユーモアを追究しつづけ、70年代にはポール・オースターとも交流。晩年まで、ミニマル・ミュージックさながらの書法で、ラジオ・テレビドラマなど数多く執筆している。


訳者:安堂 信也(あんどう しんや 1927-2000)
1951年早稲田大学仏文科卒。早稲田大学名誉教授。


訳者:高橋 康也(たかはし やすなり 1932-2002)
1953年東京大学英文科卒。東京大学名誉教授。



【著者紹介】
サミュエル・ベケット : 1906‐89。アイルランド出身の劇作家・小説家。1927年、ダブリンのトリニティ・カレッジを首席で卒業。28年にパリ高等師範学校に英語講師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。うつ病治療のためロンドンの精神病院に通うが、37年の終わりにパリに移住し、マルセル・デュシャンと出会う。ナチス占領下は、英国特殊作戦執行部の一員としてレジスタンス運動に参加。『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』の小説三部作を手がけるかたわら、52年には『ゴドーを待ちながら』を刊行(53年に初演)。ヌーヴォー・ロマンの先駆者、アンチ・テアトルの旗手として活躍し、69年にノーベル文学賞を受賞。晩年まで、ラジオ・テレビドラマなど数多く執筆

安堂信也 : 1951年早稲田大学仏文科卒。早稲田大学名誉教授。1997‐2000

高橋康也 : 1953年東京大学英文科卒。東京大学名誉教授。1932‐2002(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

ユーザーレビュー

総合評価

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

読書メーターレビュー

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

powered by

  • 夜間飛行 さん

    劇の始まりと終わりとを何度も問い直すような作品。ゴドーは来ると言ってないが、喬木/灌木の前で、とは言った。泥棒二人のうち一人が救われたというルカの話は、マタイやマルコが「奴は基督を罵り地獄に落ちた」と言っても否定されはしない。私達は異なる言説の一つを選ぶしかないけれど、他の言説も否定されはしないのだ。つまり私達はいつも何かを留保しながら、〈声〉の聞こえる宙空の中を生きるしかない。だから劇中の人々も科白の意味確定を留保しつつどう言い直すかを問題とし、ゴドー/ゴッド(どちらでも同じという奇蹟)を待つしかない。

  • ケイ さん

    あまりにも注意書きが多くて、一々参照していると、最初はその不可思議さにかえって戸惑う。私は、ベケットを読むのは初めて。有名なこの戯曲についての具体的な知識も全くないのだけれど、まずはわからないなりに一通り読んでみるのがいいように思う。結局は長い間にされてきた解釈であったりするのだから。キリスト教がわからない部分だって、中学生の頃にシェイクスピアを読めたようにそれなりに解釈できるはずだ。ゴドーの意味するところを理解すると2人の会話の響きがまた違ってくるが、それでさえ決定された解釈でないのだからと思う。

  • Kajitt22 さん

    その昔、『ゴールデンサークルのオーネット・コールマントリオ』というLPレコードの、3人が雪の林にたたずむジャケット写真を『ゴドーを待ちながら』の舞台のようだといったジャズ評論家がいた。アルトサックスの悲しげな叫びが、静寂を切り裂くその音楽は、私の中でこのベケットの作品を、長期熟成させてきたのかもしれない。数十年後、やっと手に取ったこの戯曲は、期待にたがわず衝撃的だった。一幕後半、2ページ以上の回文のような意味不明な圧巻の長セリフは、まさにオーネット・コールマンのインプロビゼーションのようだ。

  • 翔亀 さん

    シェイクスピアなどに比べて遥かに実演を見たくなるが、演劇論的なことは全く抜きにしても、面白い。漫才の掛け合いのように笑わせ、その内辻褄が合わなくなって戸惑わせ、記憶と言語と時間について考えさせ、世界の虚無について絶望的になり、最後にそれでも世界は円環していくという肯定感を得る。ゴドーは救済の神(キリストに限らず)に違いなかろうが、不条理劇というより普段は隠されている人生の真実、常に救済を待ち続けているというのが人生そのものであることを、この2時間ほどの舞台が見事に思い起こしてくれる、というのが新鮮なのだ。

  • やいっち さん

    そもそもゴドーとはいったい何者なのか。安易にゴッドと思っていいのか。が、神という呼称で一体なにを思い浮かべたらいいのか、誰が告げることができよう。人には神の名を口にすることはできない。が、神を信じ、ひたすら神の世界がこの世に実現することを待てばいいのか。何をどうやっても、人間にできることは、ホームレスの駄弁以上のことではなない。神の前では、人だろうと、およそ地上のどんな動植物だろうと、団栗の背比べに留まるのだ。人はただ、沈黙の中で、あるいは多弁を弄して、何物かのいつの日かの到来を待ち続けるだけなのである。

レビューをもっと見る

(外部サイト)に移動します

人物・団体紹介

人物・団体ページへ

サミュエル・ベケット

1906‐1989。アイルランド出身の小説家・劇作家。1927年、ダブリン・トリニティ・カレッジを首席で卒業。28年、パリ高等師範学校に英語教師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。30年、トリニティ・カレッジの講師職を得てアイルランドに戻るも翌年末に職を離れ、その後パリに舞い戻る。33年末

プロフィール詳細へ

文芸 に関連する商品情報

おすすめの商品