アルフレッド・ニューマン

アルフレッド・ニューマン プロフィール

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アルフレッド・ニューマン、この作曲家はアメリカ映画音楽の土台を築いた偉大なる人物です。映画館でよく耳にする20世紀フォックス映画(最近のヒット作だと”ワールド・イズ・ノット・イナフ"他)の有名なあのファンファーレは、このアルフレッド・ニューマンが書いたものなのです。作曲家を知らずともこの曲だけは聴いた事のある、という方、多いのでは?。そして”トイ・ストーリー”や、”バグズ・ライフ”などの音楽を手掛け、今や注目される作曲家のランディ・ニューマンの叔父にあたります。40年間の映画音楽における作曲活動、そしてその間に、255本の作品を手掛け、うち9個のアカデミー賞を受賞(ノミネートは45作品)しています。

”嵐が丘”、”わが谷は緑なりき”、”聖処女”映画史上、不朽の名作を手掛けた偉大なる作曲家の生い立ちから触れてみたいと思います。

アルフレッド・ニューマン 1901年3月17日アメリカ・コネチカット州ニュー・ヘヴン生まれ。10人兄弟の長男として生まれ、弟のライオネル、エミールも映画音楽の仕事に関わった。音楽好きな母親が、早くからアフフレッド・ニューマンの才能に気付き、貧しいながらも、ニューマンが6歳の頃からピアノを習わせる。わずか6歳ながら、アルフレッドの奏でるピアノの演奏は、周りの人達を感動させる魅力があった。

10歳になったアルフレッドは一人アメリカ・ニューヨークへ渡り、本格的にピアノをならい、ハーモニー、対位法、作曲などを学んでいった。その後の1914年、家族もニューヨークへ移民。アルフレッドは家計を助けるために、13歳でヴォードヴィルツアーに参加、ブロードウェイの映画館でピアニストとして稼ぎ、生計を立てていた。ピアニストとしての才能も抜群ながらも、指揮者、ブロードウェイの音楽監督などの功績が、ピアニストとしてよりも高く評価された。

その後、1930年、アルフレッド・ニューマンはハリウッドへ渡り、音楽監督として活躍。現代音楽の名匠アーノルド・シェーンベルクに作曲と、指揮法を師事。ユナイト、サミュエル・ゴールドウィン・スタジオを経て、その大物プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィン、そしてキング・ヴィダー監督による”街の風景”を映画音楽として初めて手掛けた。そして1933年ダリル・ザナックが設立した20世紀映画へ音楽部長として入社。会社の合併により社名を20世紀フォックスとなったため、一時離れるが、また20世紀フォックスでの仕事を再開する。

以後30年間もの間、作品を作り続けた。”聖処女”、”慕情”の作曲、そして”世紀の楽団”、”Tin Pan Alley”、””Mother Wore tights”、”わが心に唄えば”、”Call Me Madam”、”王様と私”、”キャメロット”のアレンジの9作品でアカデミー賞を受賞。”モダン・タイムス”なども彼の代表作です。1969年の”大空港”を最後に、1970年2月17日 この世を去った。

アルフレッド・ニューマンは、サイレント〜トーキー、そしてモノクロ〜カラー映画となっていった時代を歩み、映画音楽の確固たるスタイルを作り上げ、維持してきた人物....。19世紀のヨーロッパ音楽の流れを汲んだ、ロマンティックでリリカルなストリングスの使い方でアルフレッド節、「フォックス・ストリングス」を作り出したのです。

<作品リスト>

  • 嵐が丘 (1939年)

  • わが谷は緑なりき (1941年)

  • 聖処女 (1943年)

  • 剃刀の刃 (1946年)

  • 征服への道 (1947年)

  • 三人の妻への手紙 (1948年)

  • ピンキー (1949年)

  • 海の男 (1949年)

  • イヴの総て (1950年)

  • 愛欲の十字路 (1951年)

  • 聖衣 (1953年)

  • 百万長者と結婚する方法 (1953年)

  • エジプト人 (1954年・バーナード・ハーマンとの共同作品)

  • 追憶 (1956年)

  • 無頼の群 (1958年)

  • ある微笑 (1958年)

  • 大都会の女たち (1959年)

  • アンネの日記 (1958年)

  • 西部開拓史 (1962年)

  • 偉大な生涯の物語 (1965年)

  • ネバダ・スミス (1967年)

  • 大空港 (1969年)

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