CD 輸入盤

シューベルト:交響曲第4番、フランク:交響詩『プシュケ』〜プシュケとエロス、ドビュッシー:海、他 ジュリーニ&ベルリン・フィル(1969 ステレオ)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SBT1438
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
ライブ盤,輸入盤

商品説明

シューベルト交響曲第4番『悲劇的』、ドビュッシー『海』ほか
ジュリーニ&ベルリン・フィル


軽快に仕上げたロッシーニ『セミラーミデ』序曲に始まり、重厚なタッチで描いたシューベルトの『悲劇的』、そしてメインのドビュッシー『海』と、ジュリーニが好んで取り上げたフランクの『プシュケとエロス』というユニークな組み合わせ。共通するのは、どれもジュリーニが得意にしていた曲ということで、カラヤン時代のベルリン・フィルに客演するにあたって、得意のレパートリーで臨んだ気概が伝わる演奏内容となっています。
 公演の二日後のDie Welt紙に、ヨアヒム・マッツナーは「ドラマそして究極の感性」と題してこう書いています。
「ひとつのメロディーの中でかくも劇的な緊張感と感性を共存させることのできる指揮者をジュリーニ以外に私は知らない。彼の指揮がいかに貴族的で巧妙であろうとも、全てのメロディックなフレーズは3次元的で、対位旋律は単なる付加的なパートではなく、その名にふさわしくきちんと強調された。音楽がその頂点に至るときですらジュリーニの手は基本的に控えめな様子を見せるが、音が不鮮明になったり目立ちすぎたりすることはない。究極の柔軟性、透明感、そして色彩感にあふれるこのジュリーニよる『海』の表現は、ベルリン中のホールを見渡しても二度と聞くことのできない素晴らしい出来事だった」

【収録情報】
・ロッシーニ:歌劇『セミラーミデ』序曲
・シューベルト:交響曲第4番D.417『悲劇的』
・フランク:交響詩『プシュケ』〜プシュケとエロス
・ドビュッシー:交響詩『海』
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)

 録音時期:1969年2月13日
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー・ホール
 録音方式:ステレオ(ライヴ)


【解説書より抄訳】
ベルリン・フィルとの10年間の活動を振り返って、ジュリーニは素晴らしかったと語っている。
「ベルリン・フィルが世界の音楽界において卓越した地位を占めていることは誰もが知るところです。このオーケストラは素晴らしい個性を持ち、私は彼らと共に音楽を作り上げる幸運に恵まれました」
 このインタビューを行った時点ですでに、ジュリーニが指揮するオーケストラの数は多くなかった。
「共演するオーケストラとは互いに良く知り合っています。オケからオケへと転々とはしません。演奏者とは音楽的にとどまらず、人間的にも関係を築きます。互いに親しくなることはとても重要なのです」
 音楽を紡ぎだす醍醐味は何かという質問はジュリーニにとっての聖句を引き出した。
「音楽は偉大な奇跡であり神秘。たった一つの音符でさえ奇跡と神秘を秘めているのです。その音符は突如現れ、生まれた瞬間に去っていってしまう。指揮していようと、演奏者として音を出していようと音楽に関るすべてに魅了されるのです」
 多くのスタジオ録音も残したジュリーニであるが、レコーディングに関しては常に懐疑的であった。1979年にドイツの定期刊行誌「Fono Forum」の取材でインタビューを行った際、ジュリーニは
「ある作品を録音するのは、その曲が私の中で熟成し、私の経験に照らしそれができると思えた時です。事を急いではなりません」
と語っている。また、(スタジオ録音よりも)コンサートホールやオペラハウスにおける演奏が好ましいとも述べている。録音には完全性という利点があるものの、この強みが障害に転じぬように用心しなければならない。
「完全性を目指せば、生きた演奏が失われるリスクを冒すことになります。演奏の自然な息づかいやコンサートホールの聴衆との密着性が失われるのです。聴衆の反応がない録音においては、生きた演奏と緊張感に特に注意を払う必要があることは言うまでもありません」
 同じインタビューにおいて、ジュリーニは指揮者の役割についても語っている。自身を主役ではなく、他の演奏者と共に音楽を作り出す楽器を持たない演奏者と捉えていた。指揮者は指令塔として100人もの演奏者に向き合う時、傲慢になったり自信過剰に陥るきらいはないのかという問いに対して、ジュリーニは何のてらいもなく次のように答えた。
「モーツァルトやベートーヴェン、バッハといった、この世界と人類を豊かにしてくれた天才たちと対峙していること、そして自分は愛と献身を持ってこうした天才たちに仕える一人の人間に過ぎないことを思い知っていれば、そうした了見は無意味になるのです。また私は自分自身を指揮者という突出した存在と考えたことはありません。私は一人の演奏者です。若い時にはオーケストラの団員として随分演奏し、カルテットのヴィオラも弾きました。常に私は演奏者の中の一員であり、輪の外に一人で立っているのではないと考えてきました」

ユーザーレビュー

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ジュリーニが得意とした諸曲を組み合わせた...

投稿日:2010/02/13 (土)

ジュリーニが得意とした諸曲を組み合わせた演奏会の記録である。演奏当時は69年。ジュリーニが円熟の境地に達する少し前の演奏であり、若さ故のエネルギッシュな生命力溢れる劇的なアプローチをしていることが特徴と言えるだろう。冒頭のセミラミーデからして、当日の演奏会の開始を告げるのに十分な迫力ある演奏を聴かせてくれる。シューベルトの第4は、後年にバイエルン放送交響楽団と録音を行っているが、演奏の性格のあまりの違いに唖然としてしまう。演奏の完成度という点に鑑みれば、バイエルン放送交響楽団との演奏に軍配を上げるべきであるが、本盤には若き日のジュリーニならではの劇的な凄まじいまでの迫力があり、特に、この曲の副題でもある「悲劇的」を体現して見せたという意味においては、高く評価しなければならない名演であると言える。フランクのブシュケとエロスは、後年のベルリン・フィルとのスタジオ録音と比較しても遜色はない重厚かつ堂々たる表現を行っており、ライブならではの熱気を考慮すれば、本盤の演奏の方をベストの名演としたい。海は、ジュリーニが何度も録音している十八番とも言うべき曲であり、同時発売の78年のライブ録音が超名演であるだけにどうしても分が悪いのは否めないが、若き日のジュリーニならではの生命力溢れる激越な表現には大いに見るべきものがあると言える。録音は、60年代後半のライブ録音とは思えないほどの鮮明さだ。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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