チベット旅行記 下 講談社学術文庫

河口慧海

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784062922791
ISBN 10 : 4062922797
フォーマット
出版社
発行年月
2015年02月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
512p;15

内容詳細

仏教の原典を求めて、1900年当時厳重な鎖国をしていたチベットに、身に降りかかるさまざまな困難を乗り越えて、単身入国・帰国を果たした河口慧海師の旅行記です。
旅行記としてのおもしろさも第一級ですが、チベットの生活・風俗・習慣の的確な記録となっており、チベット研究の第一級の基本文献にもなっています。
チベット行を決心してから日本を出立するまでの準備。カルカッタ(コルコタ)での語学や物品の調達を経て、ヒマラヤに分け入ります。寒さ、盗賊、野生動物、厳しい地形、国境越えの苦労などを乗り越え何とかチベットに入国。厳重な警備の目をくぐり抜け、チベット第二の都市シカチェからラサへの道中。ラサに潜入した慧海は、チベット人を名乗り、医者として薬などを処方し、大活躍。ついには、法王に召されその盛名がますます高くなります。ラサの生活やチベット外交にも詳しくなります。しかしついに、素性が露顕しそうになり、チベット脱出を決意します。貴重な資料を持ち、幾重にも張り巡らされた関門を奇跡的にくぐり抜け、英領インドに到着し、日本へ帰国するまでの波瀾万丈の旅の記録です。
本書は、『西蔵旅行記』(1904、博文館)を底本とし、ノーカット版で、挿絵も全点収録しています。また、改訂版(1940年)と英訳本(1909年)も参照し、より完全な形になっています。学術文庫の五巻本を上下二巻本に再構成して刊行しました。

【著者紹介】
河口慧海 : 1866年、大阪堺生まれ。哲学館などに学び、東京本所羅漢寺の住職となる。のち僧籍を離れ、仏教の原典を求めて1900年チベットに入る。わが国最初のヒマラヤ踏破者。日本チベット学の始祖。その後も、中国、インド、ネパール、チベットを訪れ、「在家仏教」を起す。晩年は「チベット語辞典」の編纂にあたる。1945年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • てつ さん

    なかなか読みごたえがあった。明治期に何のあてもなくチベットに向かう信念の姿は冒険小説。知られていないチベット風俗を描くルポでもあり、評論でもある。宗教といういい意味で片寄った価値観を背景としているが、できれば若い人におすすめの本である。苦労を苦労とも思わないその書きっぷりに脱帽。

  • eihuji さん

    生涯肉食をしていないことを何度も作中でアピールしている 慧海だが、チーズやバターはもとより生乳にも禁忌は無いようで、肉入りの粥から肉を取り除いたものも平気で食する。 病的なヴィーガンとは次元が違いベジタリアンともやや一線を画する。これくらい図太くなければ単身入蔵なんて出来やしない。頑健な肉体が信念を保障するのだ。それはともかく、チベットは独立国家である。中共による空疎な牽強付会はどれほど並べ立てたところで侵略を糊塗できない。

  • 或るエクレア さん

    (下)はチベットの首都ラサでの生活が大部分。相変わらずシナ人と偽ってはいるが、最上位の寺に入学したり、人々を治療して薬師如来の化身と信じられたり、VIPと懇意になったり大活躍。ラサの寺の内政や風俗、チベット人の気質などがよくわかった。特に凄いのが慧海上人がチベットを取り巻く外交に精通している所で、これは死ぬまでスパイ疑惑が掛かっても仕方が無いと思った。ロシア皇帝を菩薩の化身と思う所がもうね・・。私もその昔ネパール辺りを旅行したことがあったので、情景や空気感が浮かんできてとても楽しく読めた。

  • tekesuta さん

    チベットに入国してからひっそり過ごすかと思いきや、医者として遇されありがたられる。 また、日本人だとばれて出国するときの鮮やかさとか仏の加護が仮にあったとしても、大冒険をやってのける人は胆力が違う。

  • 式 さん

    下巻はほとんど報告書的な内容でチベットの風俗習慣や英露を背景とするチベットとネパールの国際関係など。前半と比べて面白さは一段劣るが、文章は流石で読んでいて飽きない。チベットを出てインドに帰還。井上円了の説得を振り払い、前大蔵大臣の疑獄事件を救う。インド皇帝戴冠式に出張中の奥保鞏に会えず、なんとかネパール入り。国王の協力を取り付けて大団円。肝心の結果は不明。慧海はあまり語らないが、かなり入念な準備や勉学があったことが想像される。単なる憧れではなく、大事業の責務が彼にここまでのことを成し遂げさせたのだろう。

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