伝説の指揮者フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真 叢書・20世紀の芸術と文学

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784871983129
ISBN 10 : 4871983129
フォーマット
出版社
発行年月
2015年03月
日本
追加情報
:
288p;22

商品説明

伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ
自伝・音楽論・讃辞・記録・写真

フェレンツ・フリッチャイ著
フリードリヒ・ヘルツフェルト編
野口剛夫訳・編(資料協力:大脇利雄)

白血病のために48歳で亡くなった名指揮者フェレンツ・フリッチャイに関する日本で初の本格的な本。フリッチャイが書き遺した「モーツァルトとバルトーク」論や、自伝的エッセイ、共演者・関係者による追悼文、生涯にわたる写真、演奏・録音記録を収録した大変便利な資料本。A5判上製、288ページ(写真は48ページ)のフリッチャイ・ファン必携本です。

【フリッチャイ】
フリッチャイは1957年に白血病になり、胃と腸の大手術を受けるなどして1年間療養したうえで現場復帰していますが、病状の悪化により、1961年12月に指揮活動を中断し、治療に専念するものの、1963年2月に48歳の若さで亡くなっています。
 そのため、フリッチャイの遺した録音は白血病前と後で大きく芸風が異なっているのが特徴で、エネルギッシュでシャープだった健康なときの演奏に対し、白血病発症以降は、まだ若いのに晩年のような雰囲気さえ漂う独特なものとなり、その陰影を大切にしたスタイルには深い魅力が備わっていることが多かったようです。
 この本では、フリッチャイの考えや、周囲の人々の思いなども知ることができ、また、数多くの写真によって、フリッチャイの人生を視覚的に追うこともできます。数多く遺された録音についても、ディスコグラフィでまとめられていると、ファンには眺めるだけでも感慨深いものがあると思います。(HMV)

【フリッチャイのエッセイより】
また、指揮者とはそもそもどうあるべきか、また将来私はどうあるべきかをよく考えてみた。
指揮者とは独裁者でなくてはならないのだろうか? いや、決してそんなことはない! もし独裁者だったら、あまたの独裁者と同じ運命をたどることになる。
百もの頭を持つ敵に打ち負かされてしまう。指揮者とは、その知識を音楽に翻訳でき、
オーケストラの楽員たちと連帯感、仲間意識を築けてこそ存在しうるのだ。
正反対な考えにも耳を傾け、彼らの先を行き、納得させ、味方につける。
そのうえでこそオーケストラを意のままに操るだけでなく、
協働による創造を成し遂げることができるのだ。
指揮者は人々を自分のもとに統合するのではなく、
オーケストラを真の友人として、作品へ導いていかねばならない…。
モーツァルトはこの世に生きた人々の中で、
もっとも偉大な人の一人である。
彼は、歌劇において言葉と演技は、音楽の優位の下に位置づけられなければならないと考えていて、歌劇を通じて、すべてを完全に表現することができた。

【目次】
■第1部:フェレンツ・フリッチャイの著述
私の幼少期と青年期
「そのような教えを喜ばない者は、人としてはふさわしくない」
私の道
モーツァルトとバルトーク

■第2部:フェレンツ・フリッチャイを偲んで(フリードリヒ・ヘルツフェルト編)
ノート
写真集
追悼文集(ヤーノシュ・エンゲ、イムレ・パロ、他)

■第3部:フェレンツ・フリッチャイの資料
ディスコグラフィー
放送録音
演奏記録
年譜

【著者紹介】
フェレンツ・フリッチャイ
1914年、ブダペスト生まれ。フランツ・リスト音楽院卒業。指揮者。セゲード・フィルハーモニー、ブダペスト国立歌劇場、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を歴任。戦後はベルリンのRIAS交響楽団(ベルリン放送交響楽団)首席指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽監督等を歴任、欧米各地に客演。1958年秋ごろより白血病の症状が現れ、1963年、スイスのバーゼルにて48歳で亡くなる

フリードリヒ・ヘルツフェルト
1897年、ドレスデン生まれ。オルガニストとして活動するが、第一次世界大戦中の毒ガスの後遺症で演奏家への道を断たれる。大学で作曲を学び、指揮者となるが1930年に執筆活動に転身。1967年に亡くなる

野口剛夫
1964年、東京生まれ。中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を修了。作曲を別宮貞雄に師事。現在、東京フルトヴェングラー研究会代表、同管弦楽団指揮者。

内容詳細

目次 : ■第1部: フェレンツ・フリッチャイの著述 / 私の幼少期と青年期/「そのような教えを喜ばない者は、 / 人としてはふさわしくない」/私の道/モーツァルトとバルトーク / ■第2部: フェレンツ・フリッチャイを偲んで(フリードリヒ・ヘルツフェルト編) / ノート/写真集/追悼文集(ヤーノシュ・エンゲ、イムレ・パロ、他) / ■第3部: フェレンツ・フリッチャイの資料 / ディスコグラフィー/放送録音/演奏記録/年譜 / ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ / 〜生誕100年・没後50年を経て、本邦初のフリッチャイの本。音楽に魂を捧げた / 指揮者が書き遺した「モーツァルトとバルトーク」論の他、自伝的エッセイ、 / 共演者・関係者による追悼文、生涯にわたる写真、演奏・録音記録を収録。〜

【著者紹介】
フェレンツ・フリッチャイ : 1914年、ブダペスト生まれ。フランツ・リスト音楽院卒業。指揮者。セゲード・フィルハーモニー、ブダペスト国立歌劇場、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を歴任。戦後はベルリンのRIAS交響楽団首席指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽監督等を歴任、欧米各地に客演。1958年秋ごろより白血病の症状が現れ、1963年、スイスのバーゼルにて48歳で亡くなる

フリードリヒ・ヘルツフェルト : 1897年、ドレスデン生まれ。オルガニストとして活動するが、第一次世界大戦中の毒ガスの後遺症で演奏家への道を断たれる。大学で作曲を学び、指揮者となるが1930年に執筆活動に転身。1967年に亡くなる

野口剛夫 : 1964年、東京生まれ。中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を修了。作曲を別宮貞雄に師事。現在、東京フルトヴェングラー研究会代表、同管弦楽団指揮者。『新潮45』(2013年11月号)掲載の論説「“全聾の天才作曲家”佐村河内守は本物か」により、第20回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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  • 犬丸#9 さん

    ★★★★★ ドイツ語を母国としなかったフリッチャイ自身の言葉と,同じくドイツ語を母国語としない彼を囲む人々の文章をドイツ語にまとめ,そしてそれを日本語に訳してある。ぎこちなくなるのは当然である。しかし,そのぎこちない言葉の向こう側から浮かび上がるのは,私が生まれる2年前に,今の私より2歳若くして亡くなった天才の,音楽に対する比類なき信仰告白である。この本は誰にも薦めたりしない。この本を必要とする人には,私の薦める言葉など何の意味もなさないからである

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